路地には、表通りのような華やかさやにぎわいはない。でも、何気なく一歩、足を踏み入れた路地で、思わぬ発見をし、すごく得をしたような気分になることがある。
おうおうにしてひっそりとした路地にこそ、土地の人にしか伝わっていないその街の「神髄」のようなものが残されているせいではないかと思う。今回はガイドブックに載らない「北鎌倉」の魅力溢れる路地を紹介したい。読めば歴史と文化の街「北鎌倉」を10倍楽しめる?
▽新行事「北鎌倉・春の八景巡り」
北鎌倉らしい街づくりを目指す「北鎌倉まちづくり協議会」は、4月6日に開催(5日は雨で中止)した「2003年春の北鎌倉匠の市」で、「北鎌倉・春の八景巡り」というユニークな行事を同時開催した。「春の八景巡り」は今回が初の試み。コースは北鎌倉まちづくり協議会と鎌倉シルバー・ボランティアガイド協会が相談して決めた。
北鎌倉駅を中心に2時間程度で北鎌倉の路地の美しさ、歴史の一部、谷戸の眺望と桜をはじめとする、季節の花々を楽しんでもらいたい―。これが企画の狙いだ。
【北鎌倉・春の八景】
【1景】山中稲荷参道(路地)―【2景】光照寺―【3景】台山からの円覚寺方面の眺望―【休景】料亭・好々亭庭園(谷戸の新緑)―【4景】八雲神社・雲頂庵から台峯方面の眺望―【5景】円覚寺洪鐘より東慶寺を眺める―【6景】円覚寺白鷺池より北鎌倉駅と円覚寺山門を眺める―【7景】吉田家の枝垂れ桜(道路より見学)―【8景】建長寺境内の桜―【番外】明月院参道
北鎌倉まちづくり協議会
http://www.kitakamakura.org/
▽目から鱗が落ちた!
「春の八景巡り」のガイド役は、鎌倉シルバー・ボランティアガイド協会(電話0467-24-6548、FAX0467-24-6523
)の酒井保会長(当時)が務めた。酒井さんの案内で、当日は午後2時過ぎに、北鎌倉匠の市会場の東慶寺参道をスタートした。八景すべては、ボリュームが多くて、一時に紹介しきれない。今回は「ガイドブックに載らない北鎌倉の神々」のうちサブタイトルの「御ちゃぶき様と御しゃぶき様&安倍晴明石」に焦点を当てて紹介することにする。
酒井さんは小学校時代に歴史に興味を持ち、独学で歴史を学ばれたというが、無茶苦茶詳しい。学閥とか、○○学会という制約からは完全にフリーの立場にあるから、発想だけでなく発言も自由である。説明が明快で、「目から鱗が落ちた」という思いがした。「市井の偉大なる歴史家」というべきか。
▽神様の正体は石
【1景】山中稲荷参道(路地)は、JR北鎌倉駅前の鎌倉街道沿いにある駐在所の横から入る。両側には日本風家屋がたちならんでいる。木漏れ日を浴びながら、歴史探索を兼ねた散策は、目に入る新緑(視覚的)、吹く風の柔らかさ(皮膚感覚的)を体感できて、実に気持ちがいい。ある意味ではけっこう「おしゃれ」かも。 山中稲荷参道は、大人が二人並んで、やっと歩けるほど細い路地だ。うっかりすると見過ごしてしまう。駐在所横からぶらりと1、2分歩く。すると路地の端っこに、目指すおちゃぶき様が「鎮座」されている。おちゃぶき様の正体は、風雪に耐えた5重の石である。コケがしっかり生えている。
「おちゃぶき様の『お』は『御』。『ちゃ』は吹く、触れる、空気をかき混ぜるという意味だ。『ちゃちゃ』を入れるという言葉に通じる。勢いのある神様を指す。仏教伝承以前、日本人は天と地に神様がいると信じていた。天の神様は文字どおり、天に在り、土地の神様は地に在って、その霊は石に宿るという考え方だ。おちゃぶき様の形は古い。きっと、鎌倉初期かもっと古い時代のものだと推測できる。ただし、文献によって、この事実を検証することはできない。伝承で伝わっているのみだ」。これがおちゃぶき様に関する酒井さんの説明だ。
▽おちゃぶき様が女で、おしゃぶき様は男(?)
おちゃぶき様と目と鼻の先の距離に、山中稲荷がある。鳥居のあるのが珍しいとされ、「一遍聖絵(ひじりえ)」の中に、描かれているのが山中稲荷ではないかといわれている。「一遍聖絵」は、踊り念仏を始めた時宗(じしゅう)の開祖「一遍上人」に関する、この世に残された唯一の貴重な「証言」である。聖絵は、鎌倉市のお隣の藤沢市の時宗本山「遊行寺」に保存されている。
この山中稲荷を通り過ぎて、北鎌倉から梶原団地を結ぶ、やや広い通りに出る。この通りを右に曲がって、少し歩き、左の路地に進む。鎌倉街道と並行するような格好で、大船方面に向かってこの路地をたどる。すると左に【2景】光照寺ある通りに出る。このお寺の境内におしゃぶき様が祭られている。場所は門を入ってすぐの左側だ。おしゃぶき様は、石灯籠のような形をしている。
咳の神様と案内版には書かれている。「『しゃ』は『ちゃ』と同じような意味。『しゃ』は『しゃべる』に通じる。歳とった翁が吹いて生じる『振動』、つまり偉大な力が宿っていると信じられた。奇しくもこんな近くに2つの『神様』が祭られている。ひょっとして、おしゃぶき様とおちゃぶき様は、男女の間柄にあるのかもしれない。おしゃぶき様は翁に関係するので男、おちゃぶき様が女ではないか」と酒井さん。
▽これも『ときむね』ゆかりのお寺
光照寺の門前には「時宗西台山光照寺」の銘の入った石柱がある。酒井さんの説明は続く。「古代語で『台』は四方が見渡せる場所。そういう場所には『大王』がいたはず…」。光照寺の上に墓地がある。この墓地には、周辺の土地の地主さんの先祖のお墓がある。「俺の先祖は源頼朝より前からここに住んでいた」。2、3年前、この地主さんが得意げに話していたことを思い出した。北鎌倉は古い土地である。遠い遠い過去へと夢が広がる―。
説明が後になったが、光照寺は時宗のお寺である。遊行寺の末寺だ。境内はさほど大きくはないが、レンギョウ、アジサイ、ツツジといった四季の花々が美しい。拝観料は無料で、自由に拝観できる。笑い話を一つ。NHKがドラマ「北条時宗」を放映していた時のことだ。北鎌倉観光に来た母娘がいた。光照寺の門前の石柱の前で、母親が娘に「これも『ときむね』ゆかりのお寺なのよ」と説明していた。
▽北鎌倉の清明伝説
【4景】八雲神社・雲頂庵から台峯方面の眺望のある位置は、【2景】光照寺から見て右斜め前方だ。間に鎌倉街道とJR横須賀線の線路を挟む。近年、脚光を浴びている平安時代中期の陰陽道の大家・安倍晴明ゆかりの「安倍清明石」は、八雲神社の境内の一段高い丘に祭られている。
安倍晴明と北鎌倉との関係は、鎌倉時代後期の成立と言われる『吾妻鏡』に次のように記載されている。「この屋は正暦年中に建立の後、いまだ回祿(くわいろく)の災(わざはひ)に遭はず。晴明朝臣、鎮宅の符を押すが故なり」。「この屋」が北鎌倉の山ノ内にあった。「安倍清明石」は元々は北鎌倉駅近くの道路のまん中にあり、それを二つに割った。そのうちの半分を八雲神社に祭ったという。
八雲神社へ行くには、北鎌倉駅の円覚寺側の改札口を出て、下りホームに沿った路地を大船方面に向かって歩き、右側にある2つ目の石段を登る。最初の石段を登ると雲頂庵がある。八雲神社と雲頂庵からは北鎌倉の街並みが一望できる。4月初旬の山桜の咲く時期の眺望が素晴らしい。個人的には北鎌倉で桜を見るスポットとしては、ここが一番だと思う。枝垂れ桜、ソメイヨシノ、ヤマザクラの豪華な競演が堪能できる。
【参考】
*北鎌倉の安倍晴明伝説北鎌倉の安倍晴明伝説 著述業・岡田寿彦
http://member.nifty.ne.jp/Kitakama/8/5.htm
*闇の日本史・安倍晴明陰陽師ツアー
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dhistory/sei_0w6.htm
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dhistory/sei_0w7.htm
▽売れ行き順調だった北鎌倉恵みシリーズ
北鎌倉湧水ネットワークと北鎌倉湧水ネットワークの特別協賛会員は昨秋に続き、「北鎌倉の恵み」シリーズを「北鎌倉匠の市」に今回も出展した。初日は雨で中止となったが、二日目は好天に恵まれた。サクラも見ごろで、地ビール「北鎌倉の恵み」を中心に、北鎌倉恵みシリーズの売れ行きは順調だった。
【参考・北鎌倉匠の市】
http://member.nifty.ne.jp/Kitakama/2/0112/1.html
http://member.nifty.ne.jp/Kitakama/2/10/1116.html
▽「秋の八景巡り」に期待
北鎌倉の街は駅を降りて左側の鎌倉街道沿いは、鎌倉方面へ向かう観光客の流れがあって、商店も活気があり、北鎌倉らしい町並みが保全されている。しかし、右側の大船方面に向かう鎌倉街道沿いは、モータリゼーション化の波に対応しきれなかったことや、観光客を惹き付けるスポットへのPR不足などがあって、街は活気を失い、商店の廃業が続いている。店の跡地は駐車場になったり、マンションが建ち、景観の破壊が急ピッチで進んでいる。
「春の八景巡り」には、大船寄りの鎌倉街道沿いにも、観光客や市民に魅力的なスポットがあることを知ってもらい、街の景観破壊を食い止め、活性化を図ろうとする主催者の切なる願いがある。今回、「春の八景巡り」に随行して、大船寄りの鎌倉街道沿いには魅力的な観光資源が、数多く眠っていることを再認識した。11月に開催が予定されている北鎌倉匠の市では、「秋の八景巡り」の同時開催が予定されている。「秋の八景巡り」に期待したい。(了)
|