北鎌の森から
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姿見せた中世の大規模遺跡 室町時代の石切り場跡?望まれる史跡公園化  2001.8.26
 おお、これはすごいー。8月19日、「なだ いなだと北鎌倉周辺をあるく」(NPO法人「北鎌倉の景観を後世に伝える基金」主催の定例行事)に参加した市民は、大本組の北鎌倉宅地開発の工事現場を見て、一様に感嘆の声を上げた。参加者の目の前に、広さ1万平方メートルに及ぶ遺跡発掘調査予定地に、大規模な遺跡がこつ然と姿を現したのだ。遺跡は「大地に刻まれた年表」といわれる。砦なのか、やぐらなのか、時代はいつか、参加者は遠い過去への想像を逞しくした。
 後日、鎌倉市教育委員会文化財課や考古学研究家に問い合わせた結果、室町時代から南北朝時代にかけての俗称、「鎌倉石」の石切り場の跡であることが、判明した。これほど規模の大きい石切り場の跡の発見は、異例とのことだった。「鎌倉石」は、砂質凝灰岩 で、現在の鎌倉市を中心とした地域の寺院の建物の基礎や井戸の石組みなどに使用された。柔らかいが、火に強いので江戸時代にはかまどにも使われ、庶民の生活にも溶け込んでいた。
 残念なのは、この遺跡は破壊を前提に記録保存を目的にした「緊急調査」(亀井砦跡発掘調査)で、現状のままの保全は予定されていない。来年早々から始まる宅地開発の本格工事入りに伴い完全に破壊される。現状のまま保存するには、一つの可能性は大本組が自発的に宅地開発をストップする。2番目は 国、神奈川県、鎌倉市が史跡として指定する。この場合は、土地の所有者である大本組の同意を得なければならない。また、指定して保存しようと思うなら、大本組に金銭的な補償をしなければならない。3番目は個人や団体が買い取る。
 古都鎌倉は埋蔵文化財の宝庫。現在、年間約30件の発掘調査が行われているという。ほとんどが工事などによる破壊を前提に記録保存を目的にした「緊急調査」だが、鎌倉市二階堂の永福寺が、1966年、鎌倉時代を代表する遺跡として国の史跡指定され、鎌倉では最初の史跡公園とするための整備が進められている。また、御成小学校の改築に当っては、10年以上の歳月かけて遺跡と校舎の共存を模索した。今回発掘された石切り場も史跡公園として保存することを考えてもいいのではないか。「大地からのメッセージ」を多くの市民が、受け取る場を持つことは意味のあることだと思う。
 北鎌倉宅地開発は、どう考えても景観、自然環境、文化と歴史、生活環境の破壊以外の何ものでもない。昨年亡くなった諫早干潟緊急救済本部代表の山下弘文氏は「日本人は古代から自然を敬い、自然と共に生きてきた優れた倫理観を持っていました。こうした哲学が今や失われつつあります」と嘆いた。私企業の利益追求のために「グーン、ガリガリ」と重機が、山肌を無慈悲に削っていく姿を見ると心が痛む。単に山が消えるという目に見える現象だけでなく、日本人が大切にしなければならない、精神的な拠り所まで消滅してしまうような気がする。
姿見せた中世の大規模遺跡
大地から私たちへのメッセージ
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▲室町時代の石切り場にはほこらがあって、
岩肌には人名も刻まれていた。2001.8月




ああ、ゼネコン国家、日本よ!
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▲重機の攻撃で台緑地は“緑の墓場”と化した
 円覚寺の足立大進管長は「西洋思想は自然を征服、支配し快適な生活を求めようとする。これに対し、東洋思想は自然に溶け込んで生きようとする。『共生』(ともいき)の思想だ。自然の中に育まれ、限り無い縁によって生かされていると気付く。こちらが本当ではないか」と指摘する。明治維新以降、日本は西洋の合理主義を積極的に取り入れ、近代化を図ってきた。しかし、それは私たち日本人の体内に埋め込まれた精神性をないがしろにした表面的な部分の追求に過ぎなかったのではないか。最近のニュースの見出しに「幼児虐待」「キレル」「無差別殺傷事件」の文字が踊る。こうした現象は、無感動に山肌を削る行為と根っこのところで、深く結びついているのではないか。

歴史は愛しい人生の積み重ねで作られる
 歴史に対する見方だとか思いはその人によって違うだろう。ここでは作家の五木寛之氏の歴史観を紹介したい。
「歴史は膨大な時間のなかでのさまざまな人生の蓄積です。歴史とは無数の人間の愛しさに出会う旅なのだと思います。人間の愛しさに出会うのがうれしくて、人間は歴史に分け入り、なおも掘り起こし続けるのでしょう。歴史を旅して出会う人間の愛しさは、そのまま自分への愛しさにつながってきます。いまという時間を生きている自分が愛しい存在なのだと思えると、私はある種の厳粛さに染まります。こんな言い方をするのはいささか気恥ずかしいのですが、いやおうなしに生きることに真摯にならざるをえません。歴史のもつ意味はこのことなのだ、と思うようになりました」(『混沌からの出発』五木寛之、福永光司著、中公文庫より)


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 野口 稔・北鎌倉湧水ネットワーク代表が書いた「北鎌倉発 ナショナルトラストの風 分散型市民運動の時代がやって来た!」が、7月7日出版されました。詳しい内容は「マイ・ブック」を御覧下さい。










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