私の目の前で、重機の鋭い爪が、樹齢数十年のヤマザクラを襲った。バキッ。ヤマザクラはいとも簡単に、まっ二つになった。たったの一撃だった。ザザザー。次の瞬間、ヤマザクラは悲鳴をあげながら、倒れていった。「無惨―」。胸が痛くなった。六国見山中腹に位置する長窪地区の見事なヤマザクラは、長年にわたって、私だけでなく、ここを訪れる多くの市民の目を楽しませ、心に潤いと安らぎを与え続けてきた。しかし、今春が見納めになってしまった。もう二度とあの美しいヤマザクラを目にすることはできない。
▽法律は現実の後追い
写真をとくと見ていただきたい。公益のためではなく、一企業の利益追求のために、北鎌倉の六国見山の麓と中腹で想像を絶する自然、景観、文化破壊が進行し、これをストップする術がない悲しい現実を。二つの場所で行われている宅地開発は、合法的で手続き的にも現行の枠組みではなんら問題がないからだ。
でも、こういう行為が、今後も「合法的で手続き的にも問題がない」ということで、別の地域でも無制限に行わていいのだろうか。多くの市民は岡山のゼネコン、大本組によるこの宅地開発が、着工されないことを切に願っていたのだ。そもそも法律は現実の後追いである。既存の法律と現実の矛盾が、限界点に達した時、新しい法律が生まれる必要があるのではないか。
●こちらに開発前後の写真をまとめています。>>>>>
▽景観法(仮称)が必要な時期に
これまで、六国見山の宅地開発について、自分の意見を書いてきた(「北鎌の森から」と「マイ・オピニオン」のバックナンバー参照)。今回は中間的な総括をしてみたい。結論的にいうと、景観を保全するための新たな法律や、それを担保する固定資産税や相続税の改正が求められているように思う。
今回の開発を間近に見ていると、景観や自然という目に見えるものが、単に消えてなくなるということだけでなく、日本が今後、拠り所にしなければいけない精神的なものまで、失わていくような気がしてならない。新しい世紀になっても、依然日本は混迷状態から脱しきれないでいるが、それは精神的なバックボーンの不在が、理由の一つになっているのではないか。
▽将来の日本の美意識と品位のため
日本のナショナル・トラスト第1号は「財団法人 鎌倉風致保存会」。1960年代半ば、鎌倉の鶴岡八幡宮の裏山にある御谷(おやつ)に、宅地造成計画が浮上したのをきっかけに誕生した。財団設立の中心人物の作家の大佛次郎氏は設立の目的を「過去に対する郷愁や未練によるものではなく、将来の日本の美意識と品位のため」と説明している。
景観法(仮称)が必要と考えるのには、抽象的な理由だけにとどまらない。鎌倉市は日本有数の国際観光都市である。その核となっているのが、鶴岡八幡宮だ。もし、この裏山が宅地造成されていたら、鎌倉市の国際観光都市としての価値は、かなりダウンしてしまっただろう。観光客は歴史と文化と緑の融合された景観に惹かれて、鎌倉市を訪れているはずだ。北鎌倉へ転居する前の私がそうだった。
▽森林は保全、整備が国策
時代は大きく変わった。これ以上、二酸化炭素などの温暖化ガスの排出を放置したり、不必要なものを大量生産し続けると地球そのものが持たなくなって、人類の生存が危なくなる。日本政府は地球温暖化を防ぐための京都議定書を6月中に批准する方針だ。批准により日本は、温室効果ガスの排出量を2008―12年に1990比で6%削減する国際的な義務を負う。
今後は企業による温室効果ガスの排出量取引市場創設や、二酸化炭素吸収源の森林の育成が本格的に求められる。環境省と農水省はこうした動きを受けて、すでに森林の保全、整備のための予算獲得に向けて協議会を設置した。都市部にある貴重な森の破壊は、時代の流れと国策にも反する蛮行と言わざるを得ない。
▽宅地政策も大量開発を転換
5月27日、共同通信社は「都市郊外の大量開発を転換」という見出しの記事を配信した。内容は国土交通相の諮問機関である「社会資本整備審議会」の住宅宅地分科会の企画部会が、大都市の郊外で宅地を大量に開発、供給してきた宅地政策から、既成宅地の再開発事業重点化などへの転換を検討することを決めたというものだ。
国土交通省の見通しでは、2000―10年度までの新規宅地の需要量は6.8万ヘクタールで、1996―2005年度までの前回見通しの約3分の2にとどまるという。少子高齢化、経済構造の変化、農業人口の減少に伴う過剰農地の発生を背景に宅地が絶対的に不足している時代は終わりを告げた。
▽ガラクタ経済から脱却を
今年1月5日の朝日新聞に興味ある記事が載っていた。「ガラクタ経済から脱却を」という見出しが付いた政治学者のダグラス・ラミス氏の署名入り記事だ。内容は要約すると「日本人は本当に必要なものを手に入れているのに、もっと買わなければ不景気は直らないと、と経済学者や政治家はいう。これは経済制度を救うために、必要でないものを買わなければならないということ。つまり、ガラクタを買う義務があるというのだ」
「このガラクタを生産するために資源を必用以上に消費し、環境を汚染したり、破壊する。日本はマイナス成長になっている。危機だが歴史的なチャンスでもある。マイナス成長を『行きたい所へ行けない』というのでなく『別のもっといい所に行く』、つまり発展が止まったのではなく『対抗発展』始まった、と考えてはどうか」。示唆に富む指摘だと思う。
▽ふいてもふいてもほこりが取れない
宅地開発工事は周辺住民へさまざまな影響を及ぼしている。5月中旬、六国見山の麓の宅地開発現場の真下に住んでいるAさんのお宅に伺った。1997年に訪れた時、Aさんの御主人は、庭でサツキの手入れをされていた。庭の前の森からは、小鳥のさえずりが聞こえた。今回伺った時、御主人は体調を崩され、長期入院中とのことで姿が見えなかった。
庭の前の森は、消え去り、小鳥のさえずりの変わりに、「カチカチ、グイーングイーン、ガリガリ」と戦場を思わせるような騒音に満ちていた。「声が大きくなったと言われる」とAさん。「座っているとズーンと揺れを感じることがある。玄関のドアがしまらなくなった」。騒音は、日曜日と祭日を除いて、午前8時半前から午後5時まで続く。しかもあと2年間。
ふいてもふいてもほこりがつもる。だから「ベットのわきに雑巾を用意し、寝る時に足を拭いてベットに入る」。「何もやる気がおこらない。もの忘れもひどくなった。周りは年輩者が多い。この工事が原因で、精神的肉体的にダメージを受けているのではないか。ここまでやるとは思わなかった。あまりにひどすぎる。間もなく梅雨入りする。擂り鉢の底に住んでいるようなもの。土砂災害が恐い。隣に住むむ娘夫婦の家は平家。夜、こちらに雨が降ると避難してくる」。耐えることが、公益のためなら、耐える意味がある。でも、この場合、耐える意味をどこに見い出したらいいのだろうか。
▽徹底した効率主義の追求
自らが事業主体の六国見山の麓の開発ではヤマをまるごと削る。工事を請け負った中腹の長窪地区では段差をなくすために土砂をべたっと埋めてならす。ロスをなくすためだ。徹底した効率主義が追求されている。自然をいかした宅地づくりの発想はみじんもない。「いいまちづくり」と着工前の説明会では、言っていたが、この言葉と目の前の現実は「天と地」ほどの開きがある。
着工前は六国見山の山頂に登り、一息入れると、精神的、肉体的にリフレッシュできた。山頂からは空気が澄んでいると大島と向き合うことができる。大平洋から吹き上げてくる風の音。野鳥のさえずり。円覚寺の修行僧の読経の声。そして四季折々の美しい風景。しかし、現在、下から風に乗って聞こえて来るのは「ゴーゴー、バリバリ、ドシーン、ドシーン」というものすごい騒音だ。かえって気持ちが乱される。工事が行わている時間帯に、六国見山に登るのは止めた。
▽環境方針に矛盾?
大本組は自社のホームページ(http://www.ohmoto.co.jp/)で、1999年7月1日に制定した「環境方針」を公開している。「環境方針」は基本理念として「大本組は、地球環境を保全することが人類に課せられた世界共通の重要課題であると深く認識し、営々と形成された美しい国土を未来の世代に引き継ぐために、建設事業において環境の保全に努め、社会が永続的に発展することに貢献する」とうたっている。
この基本理念と六国見山での宅地開発に整合性はあるのだろうか。 昨年2月21日に大船高校で行われた工事説明会では「ダンプは(六国見山の麓の開発より上の)高野台の住宅地には絶対に行かない」と明言した。しかし、現実はダンプがごう音を響かせて高野台の閑静な住宅街を走っている。
「環境方針」もある意味では、企業理念に通じる。企業理念については、資生堂の元社長の福原義春氏に社長時代にインタビュー時の福原氏の言葉が、今でも耳に残っている。「理念とは結局、哲学。自分がここにあるのは何のため、あるいは生きているのはなんのためかを追求することに尽きる。このことから進むべき道が必然的に出てくる。ある時、「社会」と「会社」を置き換えても、そのまま通用することに気がついた。社員には会社と社会を構成している一員として、激変する環境の中でこの会社はどうなるかとしっかりと考えてもらいたいと願っている」
▽釈然としない行政の対応
この宅地開発問題では行政の対応が釈然としなかった。北鎌倉は鎌倉とはひと味違った魅力がある。豊かな緑と歴史的財産を生かした街づくりが可能なはずだ。例えば、六国見山の麓の開発地からは、すでに破壊されてしまったが、大規模遺跡が発見された。この遺跡の存在は、着工前から鎌倉市の担当セクションはある程度予想していたはずだ。遺跡の公開された時、1000人もの市民が集まった。
史跡公園として残したら、市民の憩いの場としてだけでなく、新たな北鎌倉の観光資源になっただろう(当時の市長に史跡公園化を要望書を出したが、無回答だった)。そして、長窪地区は、農地だったのだから、市民農園として、有料で市民に貸す。当然、地権者に税制面での配慮をする。森は森林公園として整備する。セクト主義にとらわれた、行政には史跡公園、市民農園、森林公園を有機的に結び付ける大胆な発想がなかった。これお役人に期待するのは酷かもしれない。役人ができないなら首長が、リーダーシップを発揮して、実現に向けて汗を流す。残念ながら、当時の首長が、汗を流したという姿が、全く見えなかった。
▽自分は造成地に住んでいるのになぜ反対なの?
北鎌倉湧水ネットワークのホームページに貴重な質問が寄せられた。参考までに、この質問とそれに対する私の考え方を掲載する。宅地開発問題を考える際に、非常に役立つと思われるからだ。
Q 7年ほど前に六国見山にお住まいのご様子。円覚寺の上と言うのは、多分あそこかなと思って、お聞きいたします。あの土地も多分大規模宅地造成で出来た街ではありませんか。その地にお住まいで、台峰の開発問題への取り組みは、先に手にした者が勝ち、と言う感がいたします。人間の営みは総て自然破壊だと思います。先にやった者勝なのでしょうか?
A 全く、その通りだと思います。鎌倉に鎌倉幕府が成立したこと事体が、大変な自然破壊です。
Q 色々な生活権運動を見ていますと、既得権だなと思う事が多々あります。小田急線の
工事反対運動とか。それより先に住んでいる人の不自由は考慮して居ないのでは、と思います。
A 現在、住んでいるところが宅地開発された時、工事の被害を受けた方々が、また同じ思いをしたくないといって、工事に反対されていました。いましたというのは既に工事が始まっているからです。
今回は「それより先に住んでいる人の不自由」の立場に私が置かれています。騒音、ほこり、ダンプの住宅地への侵入、とにかくものすごい自然破壊が進行しているこ
とに戦慄をおぼえます。6月にこのホームページにその様子を掲載しますので、それを御覧になって、感想を寄せていただければ幸いです。
Q 鎌倉に住みたい人は多分一杯居るのでしょう。その人達の思いは?
A 自宅の周りに草茫茫の宅地があります。物納です。それと今回のように何も山そのものを根こそぎ削らなくても、宅地になりうる土地はかなりあります。本質的な問題は税制とか宅地政策にあるように思いますが。
Q 自然破壊と人間、人間の存在とは?何でこんな存在が許されているのでしょう。なるべく穏やかに過ごしたいなと思いつつ、結局自然を痛めつけている存在もっとも人間も自然の仲間ですけれど・・・・
A 同じように考えを持たれている方がたくさんおられます。もっと、過激なかたは「反対運動をするなら、自分が鎌倉を離れろ。だったら賛成する」と言っています。ローンを抱えていなければ、そうしたいのですが、この御時世、また引っ越しとなると現実的な話ではありませんね。要は限られた自然、それも残すに値すると判断した自然が、自分の目の前で、確実に破壊されると分かっている状況に置かれた時、あなただったら、どのような行動を取られますか。
自分が開発されたところに住んでいるという「原罪意識」から、黙って、何も行動しなかったら、外部への意思表示の現れは、開発に賛成と同じ意味を持ちますね。開発への抑止力はゼロになり、ゼネコンのやりたい放題になってしまうのではないでしょうか。また、「反対運動をするなら、自分が鎌倉を離れろ。だったら賛成する」という方が反対の声をあげ、実際に運動に取り組むことが、現実的にあり得るでしょうか。結局は現場にいる人間がこえをあげるしかないように思います。
仏教の教えだったとい思います。「人間として生まれること事体が、他人への迷惑と自覚せよ」という言葉がありますね。人間が生きて、活動することすなわち、自然破壊につながっています。自分が生まれることへの選択肢もなければ、何ゆえに生まれたかも分かりません。果たして、お答えになったかどうか。不明な点があればまた、メールをください。
▽六国見山は小津が眠る墓の裏山
映画界の巨匠、故小津安二郎監督は、北鎌倉こよなく愛し、北鎌倉を舞台に数々の名作を世に送りだした。多分、変わらないまち並みに価値を見い出していたのだと思う。小津安二郎監督の住まいは、北鎌倉の浄智寺近くの閑静な谷戸の中にあった。そして、今は円覚寺で眠っている。
六国見山は相模、伊豆、安房など六つの国が見渡せたことに由来する。この六国見山は円覚寺の真裏にある。北鎌倉のまち並みを形成する上で、非常に重要な位置を占めている。現在の六国見山のあまりに変わり果てた姿を見たら、きっと小津安二郎監督は眠れないのではないか。開発という名の破壊に一日も早く終止符が打たれることを切実に願っている。
(了)
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