去る6月2日、私がお手伝いしているNPO法人「北鎌倉の景観を後世に伝える基金」(なだ いなだ理事長)は、北鎌倉女子学園で、「台峯の生命(いのち)の叫び リンボウ先生が語り 青木由有子が歌う」を開催(このホームページの「伝言板」に掲示)したが、用意した500席がほぼ埋まった。参加者の反応も上々だった。講演した林望氏とソロコンサートを受け持った青木由有子さんの組み合わせが、とてもしっくりいったようだ。この講演とコンサートについて、報告する。
▽「私」だが「公」
林氏は「私の景観論」という演題で、1時間にわたって講演した。英国事情に詳しい林氏はまず、「日本では古いことが、汚いあるいは忘れられ価値がないことと同義語になっている。これに対し、英国では古いものほど美しいとされている」と日英の違いを指摘した。
そして、林氏は講演の最後を「英国では私有地の中を人が通れるようにしなければいけなくなっている。「私」だが「公」なのだ。100年前の風景を眺めることができる。日本では考えられない。日々の目前の景色がやがて歴史になる。エクセントリックなものの集積ではない。日本が醜くなっているのは、大きな意識の問題が宿ってい
る」と締めくくった。
「鎌倉の緑の玄関口」である北鎌倉、六国見山の宅地開発の惨状に胸を痛めているが、林氏の結論におおいなる共感を覚えた。「景観や自然という目に見えるものが、単に消えてなくなるということだけでなく、日本が今後、拠り所にしなければいけない精神的なものまで、失わていくような気がしてならない。新しい世紀になっても、依然日本は混迷状態から脱しきれないでいるが、それは精神的なバックボーンの不在が、理由の一つになっているのではないか」と考えているからだ。
「私の景観論」―林 望氏要旨―
環境というと日本人は自然環境と同義だと思っている。歴史も大切な環境だと考えない。また、保全すべきものとそうでないものが二分論になっている。例えば日光に行く。東照宮は眺めるが、途中、窓の外の景色は見ない。日本の最も美しい風景は田園地帯なのに。この田園を農水省が減反政策で休耕田を作り、荒廃させた。日本人は英国へ行き、田園がすばらしいと眺める。
しかし、同じ気持ちで日本の田園風景を眺めているだろうか。環境の中に歴史という要素を入れないできた。日本では30年もすると景観が違ってしまう。祖父母と父母、私たちの3世帯の景観が相互に無関係で、歴史的につながってい
ない。これに対し、英国ではどこへ行っても15、16世紀の橋が残っており、橋の上から16世紀の風景が見える。
日本は40年前の景色が見えない。機内から(ゴルフ銀座と言われる)千葉県の山を見ると空恐ろしくなる。里山を平気で壊わし、そこへ無理に芝生を張る。芝生は農薬漬けだから鳥も虫もいない。ここでゴルフをすることを自然に親しむと錯覚している。
これは日頃から歴史をどう考えるか、歴史認識の問題にかかわる。日本人は歴史を忘れる。50年前のことでさえ、けろっとしている。原爆で何十万人の日本人が殺傷されたのに米国に損害賠償を求めたか。意識の中に残っていない。原爆のみ問題ではない。
次に「私」と「公」をどう考えるかだ。日本は私有財産を認めていない国だ。理由は勝手に個人の土地に課税している。相続の時に、土地を売らないと相続税を払えない。だから、逆説的に日本では都市計画は成立しないといっている。一方で土地を買うと塀を立てて、囲い込む。英国では私有地の中を人が通れるようにしなければいけなくなっている。囲い込んではいけない。牧畜国家の歴史があり、自分たちの心が宿っている。
「私」だが「公」なのだ。100年前の風景を眺めることができる。日本では考えられない。日々の目前の景色がやがて歴史になる。エクセントリックなものの集積ではない。日本が醜くなっているのは、大きな意識の問題が宿っている。
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▽圧巻だった「ニューヨーク あ・ら・bye」―青木由有子さんのソロコンサート―
青木さんのコンサートは、この講演に先立って行われた。なだ理事長は青木さんを「みどりの女神」あるいは「みどりの精」と紹介したが、言い得て妙だ。2年前にも同じ場所で歌ったが、この2年間で大きく成長した。外見的に女性としての美しさを増したことも驚きだが、精神面でも深みと広がりが出てきたように思う。
青木さんの関心の対象が動植物から人の心に及ぶようになったのだ。コンサートのフィナーレの曲「ニューヨーク あ・ら・bye」でこのことを強く感じた。この曲は米中枢同時多発テロがテーマになっている。美しく澄んだ、しかも確信に満ちた硬質で力強い歌声は、聴衆の心に深くしみこみ込んでいった。
歌が、魂を揺さぶったのだろう。聴衆の3割か4割の人が涙した。あるいはそれ以上だったかもしれない。ある役割を持って生まれた、とつてもない可能性を秘めた原石―。青木さんという「原石」が、さらに磨かれたとき、自然音楽というジャンルを基盤に置ながらも、それを超えた別次元の世界への飛躍が期待できる、そんな予感がした。
▽再考―「まちまもり」と「まちのこし」―
「小津安二郎は眠れない -開発という名の破壊に終止符を-」を2002.6.3 にアップしたが、多くの方々から感想が寄せられた。三つの意見を紹介したい。同時に、昨秋大分県の臼杵市で開かれた(社)ナショナル・トラスト協会の全国大会における映画監督の大林宣彦氏と後藤國利臼
杵市長の記念講演「まちまもり」と「まちのこし」の要旨を添付する。林望氏の講演のテーマにも通じる内容で、この問題を考える際の参考になると思われるからだ。
Hさんのから返信----
六国見山の開発には本当に憤りを感じますね。景観はわれわれだけのものではなく、これから生まれてくる何世代もの何十万、何百万の人の景観であり資産でもある。わずか数名の地主と施工者で何十万人、何百万人の資産を壊していいものかとおもいます。刹那的な発想は精神が貧困だからだとおもいます。
オランダなどは市街地でも農地でも景観との調和が求められ細かに規制されています。だからこそどこに行っても絵になる風景画広がっています。日本は100年ぐらい遅れているのではと思いますね。
Tさんからの返信―本当の公益とは―
鎌倉にはたくさんの自然を残して欲しいと私も思いますが、それは所詮、私のエゴだと思っています。多くの方が知っているように、高野台は昔は宅地の無い山でした。緑あふれる自然でした。
山を切り崩して宅地開発して新たに入って来た人たちが、もうこれ以上は宅地開発はしないで欲しいと言うのは、
本当に「公益」なのでしょうか?なんかちょっと違うんじゃないと思うのは私だけではないはずです。
禅問答ではありませんが、自然を残すことは本当に「益」なのでしょうか。議論を始めるときりがないですが、自然を破壊することが「益」かもしれません。どちらが本当に「益」なのでしょうか?私にもすぐには論理的な説明ができません。
Kさんからの返信―樹木伐採側からひとこと―
病院敷地内に駐車場を増築するため約1000坪の林を全面伐採しました。残しておきたい景色のいい木もありましたが、倒木の危険も考え切り倒しました。開発行為は初体験でしたが、切る側にも心の痛みがあることを感じましたね。そのことは誰も理解しないでしょうが。 高度成長期に国土開発に携わった多くの工事関係者の方々も心の中ではこうした想いをも持ったのではと初めて思いやる気持ちが湧いてきました。
記念講演「まちまもり」と「まちのこし」の要旨
正気の保てる街(要旨)
http://member.nifty.ne.jp/Kitakama/5/h.html
…参加した中のプログラムで印象に残ったのは、映画監督の大林宣彦氏と後藤國利臼 杵市長の記念講演「まちまもり」と「まちのこし」だ。自然環境や景観の保全、街づ
くりの大きなヒントを得た気がする。大林監督は故郷の尾道市を舞台にした「転校生 」「時をかける少女」「さびしんぼう」の三部作で高い評価を受け、現在、
臼杵を舞 台にした「なごり雪」を製作中だ。
後藤市長は、30年前臼杵市に持ち上がったセメント工場建設計画に対し、地元紙に「臼杵を白い町にしないで下さい」と全面広告を打つなどし、反対運動の先頭に立た過去がある。「待ち」とは、新しい変化については、時間をかけてゆっくり成熟す
るのを待つことであり「のこし」というのは、古い大切なものを、しっかり守り残すことだと考え、「待ち残し」による「町おこし」を基本理念に掲げている。
講演のさわりを紹介する。大林監督は臼杵で映画を撮ることになった理由を「戦後日本は開発という名の破壊によって、心のひだを壊していった。私は故郷であえてこのひだを撮り続けた。これが私の『まちまもり』。臼杵市はみだりに古いものを壊さない『待ち残し』による『町おこし』をしている。ここに理念とすべきものがある。
臼杵は背筋の伸びた、正気の保てる街だ。21世紀を戦争の世紀にしてはいけない。私たちが何をすべきか考えるために、小さな街で一本の映画をつくった」と静かで穏やかであるが、信念に満ちた口調で語った。
一方、後藤市長は「セメント工場建設反対運動に関しては、原罪意識がある。信念を貫いたことはいい。しかし、工場建設を望む人々の方が多く、臼杵の街を二つに割ってしまった。これを元に戻すことは難しい。少数意見を貫いた後ろめたさが付きまとってきた。でも今日、30年前の全面広告を引っ張り出して、『待ち残し』への重大な覚悟を決めた」と心情を吐露した。最後に大林監督は「後藤市長は映画監督になれる。なぜなら恐れを持つことが映画監督の資質だからだ。偉大な黒澤明監督でさえ、OKの背後にある間違いに常に怯えていた。評価はOKを出したことが、人間を幸せにしたかどうかで判断される」と結んだ。
(了)
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