2月15日(場合によっては3月15日前後)は、涅槃会(ねはんえ)。
仏教の開祖、お釈迦さまが、亡くなられた日である。
日本のお寺では、本堂に、お釈迦さまが涅槃に入られたシーンを描いた大きな涅槃図をかけて法要を営む。 涅槃図には、たくさんの弟子、王族、老若男女、鳥獣が集まり、嘆き悲しんでいる様子が描かれている。
▽瞬間的に涅槃図のことを思い出す
昨年末、ある場所で、般若心経を唱えていたら、猫が膝の上に飛び乗ってきた。
人見知りのする猫で、飼い主にさえ、こういう行為はしたことがないそうだ。飼い主が驚いていた。瞬間的に涅槃図のことを思い出した。お経の「周波数」(ほかに適当な表現方法が見つからないのでとりあえず…)がこの猫と共鳴したのかもしれない。
円覚寺の涅槃会を見学させてもらった。
時間は冬期の円覚寺・暁天坐禅会の時間と重なる午前6時から午前7時過ぎまで。「山川草木国土悉皆成仏(草も木もみんな仏と同じ尊い生命をもっている)」。お釈迦さまのさとりのことばである。じっくりと涅槃図を見ながら、このことばが「真理」であることを確信した。
▽10ヶ月と100歳は等価、しっかり、生きようと思う
眼前で、厳かに執り行われる涅槃会を見てこうも思った。
生きとし生けるもの全ては、大いなる生命体と、「縁」という「糸」でつながっている。その「糸」が切れたとき、大いなる生命体から切り離され、「涅槃の世界」を漂う。そして、新しい縁が結ばれたときに形として蘇る。
人の命は例え10ヶ月だとしても、一生であることに変わりはない。100歳と等価である。
お釈迦さまはそう教えているはずだ。お釈迦さまの2500年以上前の教えが、今なお受け継がれている事実を目の当たりにして、言い知れぬ感動を覚えた。
今日も月がきれいだった。
昨日、今日の暖かさで、梅も次々につぼみが開いている。
美しい世界にいる幸せを感じる。
かりそめの世界であることは分った。
悠久の時の流れとの比較で言えば、お釈迦さまの世界へ行くのも時間の問題だ。
でも、そのことを承知の上で、しっかり、生きようと思う。
*月は東に日は西に(北鎌倉・六国見山はまさに光の世界)http://kitakamayu.exblog.jp/m2006-02-01/#3522434
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