観音経ってすごくいいな、と思っている。響きがとっても美しく、耳に心地がいい。意味も分かりやすい。
瀬戸内寂聴さんによると「観音様は美人につくられたものが多い。しかし、観音様は男でも女でもない。仏様は中性」ということである。観音経の偈は諳んじたいと思っている。そのためには自分だけの「小さな」観音菩薩像があればいいなと思った。そこで、友人の晏侶さんに「締切なし、いつでもいいからつくってください」とお願いした。
それから2ケ月後。私だけの観音菩薩像が完成した。高さ40センチメートルの「大きい」鎌倉石に彫られた両面の観音菩薩像である。「野口さんのイメージに合った鎌倉石を見つけたので、とりあえずこれに彫ってみた」と晏侶さん。ずっしり重い。
それをひざに抱えながら2ケ月かけて、彫ってくれた。このため、ひざを傷めてしまったという。
ありがたい気持ちと申し訳ない気持ちが同居している。いただいた後、しばらく玄関の横に置いた。後日、晏侶さんにその話をしたら「庭に置いてもいい。苔が生えてくると味が出てくる」というので、現在は庭においてある。
朝起きて、観音菩薩像を見るとほっとした気持ちになる。女性を思わせる観音菩薩の表情は、母親に似ているような気がする。一方の男性を思わせる観音菩薩は祖父に似ているような気がする。晏侶さんの厚意にこたえるためにも一日も早く観音経の偈を諳んじたいと思っている。
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母に似ている気がする観音菩薩像(晏侶さん作) |
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祖父に似ている気がする観音菩薩像(晏侶さん作) |
【参考】
生まれ出る期待と怖れ―晏侶展―
http://member.nifty.ne.jp/Kitakama/2/2003/110.html
▽観音様は願いを聴いてお救いくださる
参考までに妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五・偈と浄智寺前住職・朝比奈宗泉氏が独自に和訳したものを本人の許可を得て掲載する。
朝比奈氏によれば観音経は、今から2500年前、お釈迦様が霊鷲山(りょうじゅせん)で説法されたのが「法華経(ほけきょう)」、つまり「妙法蓮華経」(みょうほうれんげきょう)。8巻28品に分かれ、「観音経」はその中の25番目。普門品第二十五は禅宗、日蓮宗、真言宗など宗派を越えて読まれている。人気の秘密は困った時、苦しい時に、「観音様、お助け下さい」とお願いすると、観音様はその思いを聴いてお救いくださると説かれているからではないか、という。
僧侶にはならないといっていたが、55歳の時仏門に入った。「疲れが出ていた。2、3ケ月雲水をすれば元気が出るかなと。しかし、どっぷりつからないと駄目だということが分かった。死を覚悟した。坐禅して死ぬなら本望だと思った」。臨済宗の修行は各宗派の中でも、最も厳しいといわれている。「とても文章には出来ないようなことも体験した。生と死とのけじめをつける訓練だった。彼岸と此岸の区別をはっきりさせる訓練と言い換えてもいい」
朝比奈 宗泉(あさひな・そうせん)氏 昭和25年、早稲田大学政経学部卒業。翌年TBS(現)入社。「兼高かおる世界の旅」などのプロデューサーを経て、1979年仏門へ。以降、浄智寺(臨済宗円覚寺派・鎌倉五山の第四位)住職を経て、現在は閑栖。著書に「今日、一途に―鎌倉名刹・浄智寺、老僧の独白譚」(実業之日本社)。父の宗源(そうげん)は元円覚寺管長、息子恵温(えおん)は現在、浄智寺住職・円覚寺宗務本所勤務
。
◎妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五・偈
世尊妙相具 せーそんみょうそうぐ 我今重問彼 がーこんじゅもんぴ
仏子何因縁 ぶつしがーいんねん 名為観世音 みょ ういかんぜおん
具足妙相尊 ぐーそくみょうそうそん 偈答無尽意 げーとうむーじんに
汝聴観音行 にょちょうかんのんぎょう 善応諸方所 ぜん のうしょほうしょ
弘誓深如海 ぐーぜいじんにょかい 歴劫不思議 りゃつこうふーしーぎ
侍多千億仏 じーたーせんのくぶつ 発大清浄願 ほつ だいしょうじょうが
ん
我為汝略説 がーいーにょーりゃくせつ 聞名及見身 もんみょうぎゅけんしん
心念不空過 しんねんふーくうか 能滅諸有苦 のう めつしょーうーく
仮使興害意 けーしーこうがいい 推落大火坑 すいらくだいかきょう
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき 火坑変成池 かーき ょうへんじょう
ち
或漂流巨海 わくひょうるこーかい 龍魚諸鬼難 りゅうぎょしょきーなん
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき 波浪不能没 はーろうふーのうもつ
或在須弥峯 わくざいしゅみーぶ 為人所推堕 いーにんしょーすいだー
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき 如日虚空住 にょ にちこーくうじゅう
或被悪人逐 わくひーあくにんちく 堕落金剛山 だーらくこんごうせん
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき 不能損一毛 ふのうそんいちもう
或値怨賊繞 わくちーおんぞくねう 各執刀加害 かくしゅーとうかがい
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき 咸即起慈心 げんそくきじしん
或遭王難苦 わくそうおうなんく 臨刑欲寿終 りんぎょうよくじゅじゅう
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき 刀尋段段壊 とう じんだんだんね
或囚禁枷鎖 わくしゅーきんかーさー 手足被柱械 しゅそくひーちゅーかい
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき 釈然得解脱 しゃくねんとくげだつ
呪詛諸毒薬 じゅうそしょどくやく 所欲害身者 しょよくがいしんじゃ
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき 還著於本人 げん じゃくおほんひん
或遇悪羅刹 わくぐーあくらーせつ 毒龍諸鬼等 どくりゅうしょきとう
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき 時悉不敢害 じしつぷーかんがい
若悪獣囲繞 にゃくあくじゅいねう 利牙爪可怖 りーげーそうかーふ
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき 疾走無辺方 しつそうむーへんほう
玩蛇及蝮蠍 がんじゃぎゅうふくかつ 気毒煙火燃 けーどくえんかーねん
念彼観音力 ねんびーかんのんりき 尋聲自回去 じんしょうじえーこ
雲雷鼓掣電 うんらいくーせいでん 降雹濡大雨 ごうばくじゅだいう
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき 応時得消散 おうじとくしょうさん
衆生被困厄 しゅじょうひーこんにゃく 無量苦逼身 むりょうくひつしん
観音妙智力 かんのんみょうちりき 能救世間苦 のう くーせーけんくー
具足神通力 ぐーそくじんつうりき 広修智方便 こうしゅうちほうべん
十方諸国土 じつぽうしょこくど 無刹不現身 むせつふーげんしん
種種諸悪趣 しゅじゅしょあくしゅ 地獄鬼畜生 じーごくきーちくしょう
生老病死苦 しょうろうびょうしーく 以漸悉令滅 いぜんしつりょうめつ
真観清浄観 しんかんしょうじょうかん 広大智慧観 こうだいちーえーかん
悲観及慈観 ひーかんぎゅうじかん 浄願常譫仰 じょうがんじょうせんご
う
無垢清浄光 むーくーしょうじょうこう 慧日破諸闇 えーにちはーしょあん
能伏災風火 のうぶくさいふうか 普明照世間 ふみ ょうしょうせけん
悲體戒雷震 ひーたいかいらいしん 慈意妙大雲 じーいみょうだいうん
濡甘露法雨 じゅんかんろほうう 滅除煩悩焔 めつじょぼんのうえん
諍訟経官処 じょうじょきょうかんじょ 怖畏軍陣中 ふーいぐんじんちゅう
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき 衆怨悉退散 しゅうおんしつたいさん
妙音観世音 みょうおんかんぜおん 梵音海潮音 ぼんのんかいちょうおん
勝彼世間音 しょうひせけんおん 是故須常念 ぜこしゅじょうねん
念念勿生疑 ねんねんもつしょうぎ 観世音浄聖 かんぜおんじょうしょう
於苦悩死厄 おーくーのうしーやく 能為作依怙 のう いーさーえーこ
具一切功徳 ぐーいつさいくどく 慈眼視衆生 じーげんじーしゅーじょ
う
福聚海無量 ふくじゅかいむりょう 是故応頂礼 ぜこーおうちょうらい
爾時持地菩薩 にじじじぼさつ
即従座起 そくじゅうざーきー
前白佛言 ぜんびゃくぶつごん
世尊 若有衆生 せーそん にゃくうしゅじょう
聞是観世音菩薩品 もんぜかんぜおんぼさつぼん
自在之業 じーざいしーごう
普門示現 ふーもんじーげん
神通力者 じんつうりきしゃ
当知是人 とうちぜにん
功徳不少佛説是普門品時 くーどくふしょうぶつせつぜふもんぼんじ
衆中八萬四千衆生 しゅうちゅうはちまんしせんしゅうじょう
皆発無等等 かいほつむとうどう
阿耨多羅三藐三菩提心 あーのくたーらーさんみゃくさんぼだいしん
【訳文】
妙なるお姿を具えておられるお釈迦様、私は今、重ねてお伺いいたします。お釈迦様のお弟子のあの方を、どういうことから観音様とお呼びするのでしょうか。妙なるお姿のお釈迦様は偈により無尽意菩薩様にお答えくださいました。
あなたは、よくお聞きなさい。観音様はいろいろなことをしてくださる方です。それは深い海のようにしっかりお誓いくださっています。どんな時が経っても、変わることはありません。それは、たくさんの仏様にお仕えし、素晴らしい清浄をしておられるからです。
それではあなたのために、概略をお話しましょう。観音様のお名前を伺い、そのお姿を拝見して、よく心に念じ、空しく時を過ごさなければ、いろいろな苦しみがあっても、それらは消滅するのです。たとえよからぬ気持ちで大きな火の燃えている穴に落とされても、「観音様、お助けください」と念じたならば、火の穴は池と変わるでしょう。
あるいは大海を漂流して、龍や魚などのいろいろな鬼神に襲われても、「観音様、お助けください」と念じていれば、波間に呑まれてしまうことはありません。あるいは須弥山(しゅみせん)に登って、誰かに突き落とされても、「観音様、お助けください」と念じていれば、大空の太陽のように天空にとどまるでしょう。
あるいは悪人に追われて金剛山から墜落したとしても、「観音様、お助けください」と念じていれば、一本の毛さえも損なうことはありません。賊に囲まれ、いろいろな人が刀で襲いかかっても「観音様、お助けください」と念じていれば、みんな慈悲の心を起こすのです。
あるいはわがままな王様に苦しめられ、いよいよ刑場に臨み、命が終わろうとしても、「観音様、お助けください」と念じていれば、刀は次々と壊れてしまうでしょう。あるいは囚われて、枷や鎖に手足がつながれていても、「観音様、お助けください」と念じていれば、その縛(いましめ)は解け、解放されるでしょう。
呪いやいろいろな毒薬で、その身に害が及ぼうとしても、「観音様、お助けください」と念じていれば、その害悪は呪った本人に戻るでしょう。あるいは悪い毒龍などいろいろ悪いものが出てきても、「観音様、お助けください」と念じていれば、その時みんな害をしなくなるでしょう。
もし悪い獣に囲まれて、鋭い牙や爪が恐ろしくても、「観音様、お助けください」と念じていれば、悪いものはたちどころにはるか彼方へ走り去るでしょう。毒蛇やマムシ、サソリが毒を炎のように吹きかけても、「観音様、お助けください」と念じていれば、たちどころに逃げ出すでしょう。
雷雲で稲妻が光り、あられや大雨が降ってきても、「観音様、お助けください」と念じていれば、たちまちにしてそれらは消えうせるでしょう。人々が疫病に襲われて、たくさんの苦しみに身を攻められても、観音様の妙なる知力は、世間の苦しみから救ってくれるでしょう。
神通力を持っておられ、広い智恵と方法でどこの場所にも現れてくださるのです。いろいろな悪しきこと、地獄、鬼、畜生、生老病死などの苦しみは、みんなこれで無くなるでしょう。真実を見る目、清らかな目、広大な智恵の目、哀れみの目、慈しみの目など、これらを常にそうありたいと願い、常に素晴らしいと仰ぎ見るのです。
穢れない清らかな光、智慧の光は、すべての暗闇を破り、災いの風や火を抑え、広くどこまでも明るく世間を照らすのです。偉大な慈悲のお姿には、雷鳴の鳴り響くような厳しさが見られます。慈悲あるお心は素晴らしく大きな雲のようで、ありがたい仏法をお与えいただき、煩悩の炎を除いてくださるのです。
訴訟により法廷で争い、戦場で恐ろしくなり、「観音様、お助けください」と念じていれば、すべての怨みは退散するのです。観音様は妙なる音をお持ちですし、梵鐘(ぼんしょう)の音、潮騒の音もお持ちで、世間のどんな音にも勝った音をお持ちです。それゆえに常に念じるのです。
疑わないで念じなさい。観音様は清らかなお方で、苦悩や死、災いにあった時は、まさにそのよりどころとなるのです。一切の功徳を備え、慈悲の目によって人々をご覧になる。その福徳の集まりは、大きな海のように計りしれないほどなのです。だからこそ礼拝をするのです。
その時、持地菩薩はただちに座から立ち上がり、お釈迦様の前に出て申し上げました。「お釈迦様、もし人々が観音様の章のところで述べられている、どこにでも現れるという自由自在の行為である神通力を理解いたしますと、その功徳は大変なものでございます」
お釈迦様がこの普門品を説かれた時に集まった八万四千ものたくさんの人々は、みなこのうえない、最高の悟りをいただこうと決心したのでした。
(了)
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