特   集


 取りあえず坐ってみよう ―体験!円覚寺暁天坐禅会―



 8月18日の円覚寺の暁天坐禅会は、いつもと趣向が違った。坐禅の場所を方丈内から方丈の縁側に移したのだ。静かな雨音、そして頬をなぜる爽やかな涼風。眼下の庭には雨に濡れて、生気を取り戻した苔の緑が色鮮やかだった。

▽「山川草木国土悉皆成仏」
 ホ−ホヶキョウ、ホーホ−、チッチッチ、カーカー、ツイー、ツイー、ピーピー(野鳥たちの鳴き声)
 ゴボッ(錦鯉の飛び跳ねる音)
 グエッ、グエッ(台湾リスの鳴き声)
 ジージー、ミ−ンミ−ン(蝉しぐれ)
 ピチャッ、ピチャッ(あまだれの音)

 座って、ほどなくするとさまざまな自然界の音が耳に入ってきた。音の発信源はすべて生きている。これまで、身近な世界でこうした音、命が存在していることに気付かないで過ごしてきた。「山川草木国土悉皆成仏(草も木もみんな仏と同じ尊い生命をもっている)」。仏教の開祖、釈迦のさとりのことばが時折、頭の中をよぎる。

▽漠然とした憧れ
 円覚寺の暁天坐禅会に初めて参加したのが、昨年の5月。以来、勤務表をにらみながら週一回のペースで参加している。8月18日で多分80回くらい、坐ったことになると思う。禅の世界には、高校から大学時代にかけて、吉川英治の「宮本武蔵」や夏目漱石の「門」などの小説を読み、漠然とした憧れのようなものを持った。しかし、俗物そのものの自分には縁のない、遠い世界のことだと思っていた。
 参加のきっかけは偶然だった。初参加の数日前の午前6時頃、ジョギングの途中に円覚寺に立ち寄り、円覚寺の御本尊の釈迦像にお参りするために仏殿に近付いたところ、内部に人の気配を感じた。よく見ると15人くらいの人たちが坐禅を組んでいた。坐禅を終え、仏殿から出てきた参加者のリーダーと思しき人にこの坐禅会に参加できるかどうか、聞いてみた。すると「毎朝、やっており誰でも参加できます」とのことだった。

▽暁天坐禅会は予約不要で無料
 円覚寺の暁天坐禅会は夏期(4月から10月)が午前5時半から同6時半。冬期(11月から3月)が午前6時から同7時。場所は仏殿。現在は、仏殿が改築工事中なので、少し奥の方丈で行われている。坐禅が始まる10分前に仏殿横(現在は方丈前)に到着し、右手を胸に当て、その右手の上に左手を交叉して添える叉手当胸(しゃしゅとうきょう)の姿勢で待つ。裏門が空いており、自由に入れる。予約は不要。無料で参加できる。
 1時間の割り振りは当番のお坊さんの指導の下、まず柝(たく)と呼ばれる拍子木の「カチッ」という力強くて堅い音、続いてチーンという引(いん)きんの音を合図に20分間坐禅し、5分間休憩する。そしてまた20分間坐る。最後に木魚に合わせて約15分間、「般若心経(はんにゃしんぎょう)」「白隠禅師坐禅和讃(はくいんぜんじざぜんわさん)」「四弘誓願文(しぐせいがんもん)」の三つのお経を唱える。

【注意!】9/29〜10/5まではお休み
 毎朝、開催されている暁天坐禅会だが、円覚寺の行事等があって9/29〜10/5まではお休みだ。10月6日から、改修工事が終わった仏殿で再開の予定だ。詳しくは円覚寺宗務本所(TEL 0467-22-0478)に確認していただきたい。

▽初心者には分かりやすい指導が
 坐り方は結跏趺坐(けっかふざ)、もしくは半跏趺坐(はんかふざ)だが、坐禅経験がなくてもまったく、心配はない。「今日初めて参加する人はいませんか」と坐禅開始前に、必ず当番のお坊さんが聞いてくれて、坐禅の仕方を分かりやすく教えてくれるからだ。
 暁天坐禅会で唱える三つのお経が入った「修養聖典」も無料でいただける。お経は「耳七分に口三分」とか「耳で読め」といわれる。木魚の音と周りの参加者のお経を唱える声を耳で聞き、お腹で受け止める。皆に合わせ、唱えるよう心掛ける。自分勝手に読むことは厳禁だ。
 坐禅の基本は「調身」(姿勢を調える)、「調息」(呼吸を調える)「調心」(心を調える)の三つだと教えてもらった。服装は私は作務衣(さむえ)を着用しているが、強制されているわけではない。基本的には普段着でいい。洋服なら、全体的にゆったりとしたものがいいだろう。ただし、礼を失しないような気配りがほしい。坐禅の際は靴下は脱ぐ。
 視線は正面を見て、頭の天辺から尻の先まで一直線になったのを確認する。半眼になり、膝から約1メートル前方に落とす。口は引き締め、上下の唇と歯を合わせ、舌は上あごにつけ、首筋や肩の力を抜いて、重心は下腹に置く。

▽頭はクールに、気持ちは穏やかに
 坐禅を始めるに当たって「つまらないことにこだわる自分をなんとかしよう」という一つの目標というか願いを立てた。この目標は言葉にすると簡単なようだが、本当はものすごく高い目標である。一生かけても達成できないのではないかと思っている。
 道は遠い。でも、坐禅を続けていて良かったと思うことがある。あくまでも瞬間的だが、坐禅を終えると頭はクールになって、気持ちが穏やかになるのだ。この状態が続けばいいと思っている。もともと集中力はある方だが、坐禅を始めてから、集中力も増したような気もする。

▽アルファ波を通りこしてシータ波に
 一応、日本産業カウンセラー協会認定の産業カウンセラーの資格を持っている。精神医学の世界に関心がある。「セルフ・コントロールと禅」(池見酉次郎、弟子丸泰仙著、日本放送出版協会)を興味深く読んだ。池見氏は九州大学名誉教授(内科・心身医学)で、弟子丸氏はヨーロッパに禅を伝えた功労者である。
 「セルフ・コントロールと禅」には次のように書いてある。「頭はクールに、気持ちは穏やかに」ということには根拠があり、単なる思い過ごしではないようだ。

【「セルフ・コントロールと禅」より抜粋】
 …結跏趺坐の姿勢や丹田呼吸法が持つ精神生理学的な意味について、多くの参考書に、科学的解説めいたものが述べられている。しかし、私が医学者の立場から、それらを読んだところでは、ほとんどがエセ科学的なものであって、この方面のパイオニアである東大の笠松、平井博士による脳波的研究を除いては、現在までのところ信頼に値するものはないようである。そこで、ここでは脳波の研究を中心にして、瞑想の医学について簡単に述べておこう…瞑想の研究では、かつては、アルファ波の意義が重視されていたが、近頃では、シータ波の方がずっと興味深い脳波状態であることが分かってきている。禅定にさいしても師家はアルファア波を通りこして、シータ波状態に入ってしまう。シータ波は普通は人々が睡眠直前に出す脳波であり、これは作家や芸術家がよく最高のアイディアをつかむ時でもあるとされている…

▽坐ると人相がよくなりますよ
 前回、「大いなる ものにいだかれ あることを けさふく風の すずしさに知る」という山田無文元花園大学学長(元妙心寺派管長)のことばを紹介した。この無文老師が坐禅の効用について次のように述べている。

【無文老師のことば】
 「坐禅とは見失った自分をとりもどすこと、しっかり自主性をつかんで、自分で考え、自分で行動すること、何ものにも動かされぬ肚(はら)が出来て、健康に、和やかに、逞しく人生を生きる手段だとしたら、現代ほど坐禅の必要な時代はなかろう。真実の自己を見つめ、永遠なる生命を求めて、皆さん坐りましょう。坐ると人相がよくなりますよ。人間は良い顔を作る工場だ。それには坐ることが一番。」(禅文化研究所HPより)

▽生活に区切りが
 暁天坐禅会の参加者は平均して10―20人。年齢、性、職業、国籍はばらばらだが、ほぼ毎日といっていいいくらい、参加している人たちが何人かいる。徳川喜一さんもその1人だ。かなりの経験を積んでいるような印象を受けた。私を最初に暁天坐禅会に誘ってくれたのがあ徳川さんである。
 そこで、どのようなきっかけで参加するようになったのか聞いてみた。すると…。1989年7月から参加しており、先輩に誘われたのがきっかけという。定年を迎える8年前のことだった。会社をリタイアしたら、行き場所がなくなってしまうのではないかと恐くなった。鎌倉市のお隣の横浜市からほぼ毎朝、自転車で約40分間かけてやってくる。終わった後は奥さんのお墓参りが日課だ。「坐禅を重ねていくうちにあまり、腹を立てなくなりました。参加した後はすっきりしますね。朝、座ると一日の生活の区切りがつく。雨が続き、坐禅をしないと調子が悪くなります」

▽一期一会を大切にしたい
 1998年10月最終土曜日に坐禅を始めたという福島守さんも徳川さんと同じく熱心である。「数十年前に叔父夫婦が円覚寺で坐禅会に参加していたのを思い出したのがきっかけです。この時初めて円覚寺が禅寺と知りました。坐禅の目的は、1000回達成した時に自分がどう変わっているかを知りたいからです。因みに今は826回経過しました。『今、この時何をすべきか』、即実行に自分を持って行けるよう練磨する習慣が出来つつあります」
 初心者に対して、とても親切かつ丁寧に基本を教えられている。語学にも堪能で、この前、外国人の参禅者に流暢な英語で、作法を説明をされていた。そこで「坐禅を他の人に勧めますか?そうならばその理由は?」と聞いてみた。「敢えて今は勧めません。自然の一期一会を大切にしたいから」という答えが返ってきた。なるほどとこの答えに納得した。

▽習うより、慣れろ!
 禅の根本思想は「不立文字」(ふりゅうもんじ)「教外別伝」(きょうげべつでん)「直指人心」(じきしにんしん)「見性成仏」(けんしょうじょうぶつ)の四つの言葉に収斂されるという。釈迦はジェンナ(禅那―禅)という瞑想によって悟った。しかし、釈迦の教えの神髄は文字では表せない、体験してみないと分からないとは四つの言葉は、言っている。
 円覚寺に限らず、多くの坐禅の場が用意されている。その場は、ネットで検索が可能だ。坐禅を始めたものの最初のうちは足が痛くなるは、次から次に妄想が起きてくるはで、ものすごくしんどかった。でも続けていくうちに、40分間休憩なしで、座れるようになった。呼吸も1呼吸が30秒から45秒になった。「継続は力」をあらためて実感している。習うより、慣れろ―。取りあえず坐ってみよう。

▽坐禅用語ミニ解説
 坐り方については直接、指導を受けるのが一番いいので、今回は詳しく触れなかった。ただし、指導を受けるに当たって、坐禅用語を知っておくと理解が早いと思われるので、参考までにミニ解説をしておく。「坐禅入門」(無門龍善著、大蔵出版)「禅の本」(学研)などを参考にさせていただいた。

【結跏趺坐(けっかふざ)】右足を左足の股の付け根にのせる。続いて左足を右足の股の付け根あたりにのせてを座る。
【半跏趺坐(はんかふざ)】片足のみ逆の足の股の上にのせる。
【法界定印(ほっかいじょういん)】右手の掌の上に左手を置き、親指を合わせる。
【数息観(すそくかん)】腹式呼吸。呼気から吸気、吸気から呼気にまるく循環するイメージ。1分間に2、3回の呼吸が理想。呼気をヒトー、吸気をツーと数え、フターと吐き、ツーと吸う。続いて3〜10まで行って、再び1に返って繰り返す。途中で数えられなくなったら1からやり直す。単純だが、意外に難しい。個人的には数息観をマスターできたら、座禅もかなりの水準まで到達できたと言えるのではないかと思っている。
【警策(けいさく)】ホオまたはカシの木でできた平たい棒で、眠気に襲われたときや集中を欠くときに自発的に合掌して受ける。強く打たれるとかなり痛い。でも、冷たいシャワーを浴びた後のような爽快感が得られる。
【不立文字】悟りの境地は文字では表現できない、純粋体験であるという意味。
【教外別伝】経典や教学以外に別に伝えられるもの。要は禅の神髄は経典の内容を超えたところにある。
【直指人心】あれこれ考えずに直接、自分の心を見つめなさい。
【見性成仏】自分に備わっている仏性に目覚めれば仏になれる。つまり本来の自分に戻れる。
                                      
                                                 (了)

柝の音で暁天坐禅会は始まる
ひたすら坐る参加者
ピシッ!警策を受ける参加者


                                     (了)

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