はじめに
多くの日本人にとって、仏教は、葬式の時にしか縁がない。だから仏教は、葬式仏教と揶揄されている。一方で、能、茶道、華道、書道、歌舞伎など日本を代表する文化はすべて、仏教がルーツだ。
さらに、日本人には宗教心がないともいわれる。なぜか?明治時代の廃仏毀釈、第2次大戦後の米国の日本占領政策がこの背景にある。仏教だけでなく宗教を語ることがタブーになってしまった。個人的にはそう思っている。
しかし、8年前に北鎌倉へ移ってきて、円覚寺を中心とした禅宗(臨済宗)系のお寺が、北鎌倉やその周辺に住む人々の日々の生活や文化、思考、街の景観などへ今なお、大きな影響を与えていることに気がついた。
北鎌倉の街並みには、遠い昔の記憶に触れた時に感じるある種の懐かしさがある。最近、この懐かしさは、現代およびこれからの日本にとって大切なものであり、それが禅の世界に由来しているのではないかと考えるようになった。
自らの実体験を踏まえ、シリーズで、禅について考えてみたい。
▽人気の秘密は多彩な講師陣
現在、多くの寺の門は、檀家を除き、一般市民に対して開放されていない。しかし、円覚寺はこれとは逆。外部への情報発信に熱心だ。さまざまな催しを用意している。毎年、7月後半に開催している夏期講座もその一つで、北鎌倉の夏の風物詩として完全
に街に定着している。今年も7月19日から22日までの4日間、開催された。なんと今年で68回目。戦時中、一度中断があったのみで、戦前から続いている。
私は3年前から参加しているが、年々参加者が増えている。今年は、会場となった方丈に入り切れず、隣接の書院だけでなく、控え室や縁側にまで参加者が溢れた。人気の秘密は多彩な講師陣にある。
今年は橋本聖子参院議員(演題 アスリート・国会議員・そして母として)、中坊公平弁護士(生きること、学ぶこと)、伊藤和明防災上情報機構会長(必ず来る大地震)、ひろさちや大正大学客員教授(「空」のはなし)、田湖輝千葉大名誉教授(激動の時代を心豊かに生きる)、6代目宝井馬琴(話芸から美しい日本語を愉しむ)、内藤いずみふじ内科クリニック院長(いのちに寄り添って)、作家の立松和平氏(自然とともに)の8人が招かれた。
▽心に染みる足立老師の説法
私がこの夏期講座に参加する最大の愉しみは、管長の足立大進老師の説法を聞くことだ。足立老師の説法は、統一テーマの下、シリーズ形式で4日連続して、外部から招いた講師による講演の前に行われる。今年のテーマは「わが師・わが友」だった。
木魚に合わせ、「白隠禅師座禅和讃」を参加者全員が唱えた後、「おはようございます」という足立老師の耳に心地よく響く挨拶で、説法はスタートする。白隠禅師(1685-1768)は江戸時代の臨済宗のお坊さんである。禅の問題集ともいうべき「公案」を体系化することによって、臨済宗を立て直したため、臨済宗・中興の祖と呼ばれている。
足立老師は臨済宗という一宗派にこだわず、釈迦の本来の教えを伝えることを自らの使命としているように思える。気迫が、ひしひしと伝わってくる。「仏教の根本の教えは、『縁起』の法則である。命は点ではない。先祖のご縁のお陰。この身、一身に集まっ
ている。生きているのではない。限りない縁によって、生かされているのだ」。厳しい修行に裏付けられ説法は明快で、言葉自体がエネルギーを発している。だから、人の心に染み込み、元気とか、生きる勇気のようなものを与えてくれる。
▽お墓は個人でつくる時代ではない
今夏、足立老師は説法中、葬式仏教について舌ぽう鋭く、何度も触れた。
「立派な教団が何も教えない。極端な例では管長が話をするのを嫌がる。葬式仏教といわれていることに関しては、坊さんにも責任がある。しかし、こんなことを許している壇信徒にも責任がある。世の中はすべて、需要と供給で決まる。お墓が欲しいという需
要があるから供給がある。第一線を退いた知人からお墓を作りたいが相談に乗って欲しい
との相談があった。そこで、聞いてみた。自分のお墓なのか? 奥さんのお墓なのか?
自分のお墓だという。ならば、15年、20年くらいしかお参りに来てもらえないのではないかと言ってあげた。老後に大金を投じるのは大変なことだ。『個人で作る時代ではない』といって、共同墓地の購入を勧めるようなお寺だったら信用できる」
▽命懸けの修業をされた山田無文老師
大いなる ものにいだかれ あることを
けさふく風の すずしさに知る
今春、円覚寺仏殿前の掲示板に、ものすごく印象に残るこの言葉が、書かれてあった。誰の言葉なのか知りたいと思っていた。嬉しいことに二日目の説法の際、足立老師から直接、説明が聞けた。作者は山田無文元花園大学学長(元妙心寺派管長)だった。足立老師が花園大学に入学した時に、学長をされていた。 「この人はちょっと違うと思った。入学時圧倒された。『葬式無用などときついことはいわない。しかし、その釈迦さまは死んだ人に対しての葬式を一度も強要しなかった。こ
れだけを覚えておけ』。命懸けの修業をしたが故に、ハラハラするようなことを常日頃、口にされていた」
▽風は空気が動いている
「大いなる…」の言葉が生まれた経緯は足立老師によると次の通りだ。
「山田老師は修業時に睡眠不足、過労、栄養失調で当時、不治の病といわれた結核に冒され、実家に戻って療養していた。その時、兄が結核で亡くなった。このことを山田老師に伝えた母が泣き伏した。死の恐怖の真っただ中にあった。入梅の時期だった。縁
側で風に当たっていた。風は空気が動いていると思った。鉄の棒でガツンと殴られた気持ちになった。この空気に育まれ、養われていたのに、今まで空気のあることに気付かなかった。空気が寝ても覚めても休みなく抱き締めてくれていた。泣けて泣けて仕方がなかった。俺は孤独ではない。生きよ生きよとおれを育ててくれる大きな力があるんだ。俺は治るぞと思った。言葉はこの時生まれた。それから薄皮を剥ぐように山田老師の健康は回復した」
▽勝負にこだわると最後は優しくなれる
外部から招かれた8人の講師陣の講演もすばらしかったが、すべてを紹介することは無理。最も印象深かった橋本聖子参院議員の講演のエッセンスを紹介したい。テレビでは太ももぱんぱんで、大きくて頑強に見えるが、実際は身長が156キロ、体重が5
5キロと小柄だ。幾多の闘病体験のあることも初めて知った。トップアスリートのトレーニングは、宗教家の命がけの修行に通じるものがあると思った。
【橋本議員講演要旨】
子どもの頃からオリンピック選手になると思っていたが、内臓は強くない。小学生の時に腎臓病で2カ月入院、2年の療養生活を強いられた。食事制限が辛かった。この時、なんで自分が、こんな目にあわなければいけないのかと思った。でも、側には白血病
で余命いくばくもない子どももいた。
再発の不安を抱えながら、トレーニングを再開したものの、オリンピック出場に手が届きそうになった高校3年の時、肝臓を患った。同時に呼吸筋不全症も患い、ストレスから精神科医の診察も受けた。呼吸筋不全症の後遺症で、深呼吸ができない。肺活量
は2500ccを超えない。オリンピック選手なら5000ccとか6000ccあるのが普通なのに。
しかし、この時、周りにはもっと苦しい思いをしている患者がいた。その患者がパラリンピックを目指していた。病気を経験したことで、厳しいトレーニングも辛いとか苦しいとは思わない。やりたくてもやれない人がいるのだから。
病気が自分の潜在能力を気付かせてくれた。たとえ可能性が1%でもゼロよりはいい。ありがたい。大舞台のスタートは一番プレッシャーがかかる。しかし、スタート地点に立てるのは選ばれた人間だけだ。
夏、冬合わせて7回オリンピックに出場している。病気やけががなければオリンピック選手にはなれなかった。目指すメダルは1つしかない。自己犠牲を払わねば手に入れることはできない。
スピードスケートは体重制限がない。体重のある人が有利。重いと加速し、軽いと失速する。身長170センチ、180センチが当たり前。それを補うために生きるか死ぬかのトレーニングをした。徹底的に体の脂肪分を削いで、筋肉と化した。体脂肪率は9.1%に。ここまでやるとホルモンのバランスが崩れ、男性化し、子供が産めなくなってしまうといわれた。しかし、授かることができた。
オリンピック選手は夢を売る仕事。徹底的に勝負にこだわって生きる。でも、次第に勝つことがいやになって、ライバルに勝ってもらいたいと思うようになる。最後は優しくなり、何かにささげたいと思うようになる。それがボランティア活動につながっている。
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方丈から溢れた聴講者
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円覚寺総門の前に掲示された
夏期講座の案内
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円覚寺主催のさまざまな行事
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(了)
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