大船のシンボル大船観音の写真を見てください。あなたはこの大船観音像のまん前に、観音像のお顔と同じ高さの高層マンションを建設することについてどう思いますか。また、道路でもないものを道路と言い張り、違法行為を犯してまで、「さあ、開発して下さい」といわんばかりに事業者に開発許可を出してしまった石渡徳一鎌倉市長の判断についてどう思いますか?
▽建設常任委員会、報告を了承せず
神奈川県開発審査会は12月9日付けで、鎌倉市岡本の大船観音前に建設予定の高層マンションについて、鎌倉市の開発許可を取り消す裁決を下した。これを受けて、鎌倉市は12日、事業者に工事停止を指示するとともに14日には、市議会の建設常任委員会に経過報告を行った。
報告を受けた建設常任委員会は報告を了承せずに、聞き置くとした。一部委員からは市議会の全員協議開催を要求する意見が出された。このため、全員協議会で石渡徳一市長、自らが経過説明を行う可能性も出てきた。この日の委員会には多数の傍聴人が姿を見せ、このマンション建設問題への関心の高さをうかがわせた。
▽開発予定地の大半は緑地保全推進地区
マンション建設計画の概要は、地下3階・地上9階(高さ39メートル)、59戸、立体駐車場40台、敷地面積2500平方メートルとなっている。昨年末に計画を知った近隣住民が反対運動を展開し、今年3月17日に5394人分の反対署名を集め、石渡市長に提出した。
しかし、石渡市長は3日前の3月14日に開発許可を出してしまっていた。このため、近隣住民は、これを不服として5月16日付けで県開発審査会に審査請求を提起した。近隣住民によれば、開発予定地の大半は市が緑の条例で緑地保全推進地区に指定している区域。
▽「接道」(敷地に接する道路)ではないと判断
県開発審査会の9日付けの裁決書は、鎌倉市が開発区域内に市有地を編入した上で、これを「接道」(敷地に接する道路)とし、開発許可を出したことに対し「市有地は開発区域の入り口部分の土地であるが道路法上の道路でないだけでなく、その現状は石垣積みの擁壁であって、道路状にもなっていない。また将来、道路になることについて具体的に示されてもいないことから、道路と解することは出来ない。以上のことから、本件において予定建築物の敷地は、道路に接しておらず、都市計画法の要件を満たしていない」と明快に否定した。
▽市有地は幅員(6メートル)が足りない!
さらに裁決書は「仮にこの市有地を道路とみなした場合でも、市有地と隣接した別の市道とは別々の道路。しかも、市有地の場合は、予定建築物の敷地に接する道路としては幅員(6メートル)が足りず、基準を満たさない道路である。このような幅員の足りない道路を他の道路と合わせて1本の道路とみて予定建築物の敷地に接する道路としての幅員を満たすことに関して、果たしてこのような考え方が妥当かどうか大いに検討の余地がある」と、鎌倉市の主張に疑問を投げかけている。
▽市有地を編入に大いなる疑問
近隣住民は「事業者が土地を取得しマンションを計画した区域と、切り通しの広い市道(バス道路)とを結ぶ中間地に、問題の市有地と階段状市道が横たわっていた。事業者の取得した開発予定地は、車の行き来の出来る道路には接し得ないから、本来なら開発許可は、下りるはずがない。それなのにどうして、市有地をマンション開発業者に道路として提供し、便宜を図るのか」と開発区域内に市有地を編入したことを強く批判している。
開発区域内に市有地を編入しことが適正だったかどうかについては、この日の建設常任委員会でも、質問がなされたが、鎌倉市の納得できる回答はなかった。緑地保全推進地区に指定されているということなら、緑地保全も鎌倉市の政策目標である。「事業者寄り」とか思えない今回の開発許可は、著しくバランスを欠いていると批判されても仕方がないだろう。
▽事業者は事業継続の方針
この日の建設常任委員会の冒頭、鎌倉市の土地計画部長以下が市議会、市民に深くお詫びすると陳謝した。異例なことだという。一方で、鎌倉市によれば、工事停止の指示を受け入れたものの事業者はマンション建設を継続する意向を示したという。
鎌倉市は陳謝の中で「今回の裁決を深く受け止め、今後の許認可事務の執行を厳格、適正にし、市民の信頼確保に全力をつくす」と約束した。しかし、その後の質疑を傍聴した限り、言葉だけにとどまっていると感じた。最高責任者である石渡市長の説明が是非とも聞きたい。あろうことに行政が違法行為を犯したのである。トップの責任は重い。
▽市長は全員協議会の場で真意を説明すべきだ
建設常任委員会で、市議会の全員協議会開催を要求する意見が出されたが、私はこれに大賛成だ。石渡市長は、「鎌倉を世界遺産に」との公約を掲げている。鎌倉市では1964年、鶴岡八幡宮の裏山の「御谷(おやつ)」の宅地開発計画が持ち上がった際、作家の故・大佛次郎氏ら文化人が反対運動に参加し、開発計画を中止に追い込んだ。大佛次郎氏はこの運動の目的を「日本人の美意識を守るため」といったそうだ。
「御谷(おやつ)騒動」がきっかけで日本最初のナショナル・トラスト団体「鎌倉風致保存会」が誕生し、古都の景観や緑地を保全する古都法が成立した。鎌倉の景観は先人の血のにじむような努力によって守られている。
「鎌倉を世界遺産に」という公約は、こうした先人の努力があってこそ成立する。美意識のかけらもない大船観音前の高層マンション建設は、鎌倉の玄関口の景観をガタガタにしてしまう。石渡市長は、全員協議会の場で真意を説明すべきだと思う。
*大船観音設立の経緯
大船観音は1929年に永遠の平和を願って、地元有志が大船観音の建立に着手、1934年に像の輪郭ができあがったが、資金難や戦争のため一時工事が中断した。戦後、当時の曹洞宗永平寺管長・高階ろう仙禅師が中心となり、財界人らの協力を得て、大船観音協会が設立されて建立を再開、1960年に完成した。
1980年、大船観音協会は解散、1981年からは曹洞宗の大船観音寺となった。四季折々の花が楽しめるが、春の桜が美しい。観音像の前庭からは、大船の街並みが一望できる。定期的に観音講や参禅会が開催されている。
* 聖なる地
2年間で100のお寺を巡った作家の五木寛之氏は、週刊現代の「五木寛之『百寺』の旅」の中で、次のように書いている。今回のマンション問題を考える上で、参考になると思う。
「…各地の寺を回り歩くなかで、さまざまな発見があった。そもそも千年以上もたつ古寺というのは、突然その地に出現したのではないらしい。古代から人々の思いが凝り集まって、聖地としてあがめられた場所に寺が建てられるのだ。天と地のエネルギーの触れ合う地点、そこに社がたてられ、堂がおかれ、やがて寺が建立される。何千にもわたって古代人のスピリチュアルなエネルギーが注がれた地点、それを私は列島のツボと呼ぶ。人体と同じように列島にもツボがある。そこが聖なる地だ。寺はそのツボに建てられて、生き続ける。深い信仰に支えられて寺を訪れる人は幸せだ。…」
(了)
|