関係筋によるとこのほど、野村不動産(本社・東京)が、JR北鎌倉駅の西に広がっている台峯緑地(約29ヘクタール)の宅地開発を断念したことが明らかになった。同社は多数の鎌倉市民および鎌倉市の強い反対を押し切ってまで、開発を推進することは企業イメージを損ねると判断し、開発断念の意向を既に鎌倉市に伝えた。この結
果、台峯緑地の保全問題は、最大の山場を越えた。台峯緑地は、鎌倉市が1996年に策定した「緑の基本計画」に沿って、鎌倉中央公園の拡大地として、保全されることがほぼ確実になった。
鎌倉市では同市南西部・腰越地域に位置する広町の森(約60ヘクタール)が昨秋、都市林公園としての保全が決まった。二つの緑地は、関東地方では谷戸と呼ばれる湿地をベースにした里山で、貴重な生態系が残されている。事業者の宅地開発意欲の強い東京への通勤圏・鎌倉市で、相次いで緑地が保全されたことは、景観法制定といっ
た追い風も吹く中、日本各地で展開されている自然保護・景観保全運動に好影響を与えそうだ。
▽断念の背景に「負の遺産の整理」
野村不動産は1957年、野村證券から分離独立、ビルの賃貸・管理を主業務として不動産事業をスタート。4年後の61年、台峯に隣接している鎌倉・梶原山住宅地の開発で、本格的にディベロッパー業務を開始した。いわば鎌倉は、ディベロッパーとしての野村不動産の発祥の地。その後、マンション事業にも進出、業績を拡大した。売上
高は2,283億9,400万円(2004年3月期)、従業員数は1,055人(2004年4月1日現在)。
今年7月には、創業50周年を迎える2年後をメドに、東京証券取引所株式第一部へ上場する意向を明らかにした。上場に当たっては、上場基準を満たすために、未稼動資産の処理を含めた財務内容の見直しが不可欠。野村不動産が、台峯緑地を買い入れ
たのは1969年。台峯は35年以上も「塩漬け状態」になっており、今後も早急な宅地開発は困難な情勢となっている。今回の宅地開発の断念は「上場に向けた『負の遺産の整理』であって、企業戦略に基づいた経営のトップ判断。9月上旬に野村不動産の台峯担当の最高責任者から直接、連絡があった」(関係筋)という。
▽致命的な欠陥を抱えた区画整理事業
台峯緑地の宅地開発問題は1976年、野村不動産が、都市計画法に基づいた台峯地区の宅地開発計画(「(仮称)野村鎌倉台峯宅地」)を発表することによって具体化した。計画の内容は開発面積が、約27ヘクタール、計画戸数が80戸だった。その後、周辺住民の強い反対運動によって、計画の修正を迫られ、土地区画整理法に基づく区画
整理事業「(仮称)山崎台区画整理」に衣替えし、区画整理事業設立準備委員会が設立された。事業の主体は開発予定地の約80%を所有する野村不動産で、残りの約20%を所有する個人地主も区画整理事業設立準備委員会に加わった。
1999年、区画整理事業基本構想(案)として公表された区画整理事業は、開発面積が約29ヘクタールと若干拡大され、計画戸数も約500戸(推定)に増えた。北鎌倉方面から見える樹林を残し、矢戸ノ池も保全するなど、景観や自然への一定の配慮が見られた。しかし、台峯の生態系の鍵を握る湿地帯を、矢戸ノ池を挟む格好で埋め立て
て、南北に宅地を造成する計画のため、生態系の維持が極めて難しく、自然保護の観点からは、致命的な欠陥を抱えていた。
▽位置付けは防災公園
区画整理事業基本構想(案)に対し、鎌倉市は「中央公園の拡大整備構想」を公表、緑地保全への強い意欲を示した。同構想では、台峯緑地を景観と生態系の保全に配慮した防災公園として位置付けた。台峯緑地に矢戸ノ池を中心に人の立ち入りを制限した自然聖域ゾーン、北鎌倉景観保全ゾーン、山崎景観保全ゾーン、公園施設整備ゾ
ーンを設定し、生態系の維持を明確に打ち出した。
区画整理事業設立準備委員会と鎌倉市の台峯緑地をめぐる協議は、1999年以降、区画整理事業基本構想(案)と「中央公園の拡大整備構想」をたたき台にして、定期的に開催された。協議は難航したが、2004年8月に大きな転機が訪れた。鎌倉市が「区画整理事業に市の資金を投入することは、財政事情を考えると非常に厳しい。市の緑
地保全に協力することで名誉ある撤退も考えてほしい。撤退の見返りの条件として、10年間の緑地保全契約の締結が考えられる」と提案したのに対し、事業者側は「宅地開発の意向は強いが、市の強い保全の意向を理解する。区画整理事業設立準備委員会に持ち帰って検討してもらう」と回答、開発一辺倒の態度を軟化させた。
▽トラスト運動発展の手がかりに
鎌倉市では1964年、鶴岡八幡宮の裏山の「御谷(おやつ)」の宅地開発計画が持ち上がった際、作家の故・大佛次郎氏ら文化人が反対運動に参加し、開発計画を中止に追い込んだ。この運動は「御谷騒動」と呼ばれ、日本最初のナショナル・トラスト運動となった。台峯、広町緑地の場合も緑地保全のために、地元市民が中心となっ
て、ナショナル・トラスト団体を設立し、募金活動だけでなく緑地内にある市道の整備、ウォーキング、シンポジウムやコンサートの開催など多彩な活動を展開した。
二つの運動には、「御谷騒動」と同じく、作家で精神科医のなだ いなだ氏や作家の井上ひさし氏など鎌倉在住の多数の文化人が、市民とスクラムを組んで、緑地保全運動の先頭に立った。今回の鎌倉の二つの成功例は、鎌倉という地域の特色を十分に生かしたものであり、地域を基盤とした日本のナショナル・トラスト運動のさらなる発展に一つの手がかりを与えそうだ。
【参考】
▽車窓から
http://www.kitakama-yusui.net/5/a.html
▽人が来ないと谷戸は悲しがる
http://www.kitakama-yusui.net/5/b.html
▽正気を保てる街
http://www.kitakama-yusui.net/5/h.html
▽谷戸に春がやってきた
http://www.kitakama-yusui.net/5/O.html
▽諫早から知床への旅
http://www.kitakama-yusui.net/5/u.html
▽分散型市民運動
http://www.salaryman-style.com/BN/huukeiBN9.html
▽バカは山に登れない
http://www.salaryman-style.com/BN/huukeiBN23.html
(了)
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