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  諫早から知床への旅 part1―破壊と再生の分かれ道―



 この夏、西の果ての長崎から北の果ての北海道まで、少し長い旅をした。是非、訪れたいと思っていたのが長崎は諫早湾で、北海道は知床半島のウトロ。運良く、その両方を訪れることができた。

▽思い出の場所
 長崎は、20代の“どさ回り時代”に勤務した思い出の場所だ。今、干拓工事で話題になっている諫早湾には、当時、取材で何度も足を運んだ。雲仙岳をバックに広がる豊じょうな干潟の美しさに、思わず息を呑んだ記憶がある。一昨年、永眠された諫早湾干潟緊急救済本部の代表をされていた山下弘文さんとその仲間とは、夜更けまでお酒を飲み交わしたものだ。その時、諌早湾への熱き思いを語っていた山下さんの姿が、懐かしい。

 私は現在、ナショナル・トラスト団体である「北鎌倉の景観を後世に伝える基金」(なだ いなだ理事長 http://www.kitakamakura-trust.org)の広報担当理事をしている。4年前の基金発足時、山下さんに「将来に汚点を残しかねない開発が、北鎌倉でも行われようとしています。機関誌(北鎌倉の風)創刊号に寄稿してください」と電話でお願いした。山下さんの対応は素早く、翌日次の原稿がファクスで寄せられた。

▽二一世紀に向けて 
 1997年4月14日、293枚のギロチンによって諌早湾の3550ヘクタールが締め切られた後、世論の公共事業に対する厳しい批判が始まりました。その結果、聖域といわれた公共事業の一部見直しが始まりました。私はこれを「ギロチン効果」と読んでいます。

 北鎌倉は日本に残されている貴重な自然を持つ優れた景観を有しています。古都京都をはじめ、古い日本の景観が失われつつある中で、私たちはこれら先人たちの遺産を子々孫々に残す責務があると考えています。 

 今回、はじめられた北鎌倉の自然と景観を将来に残すためのナショナルトラスト運動は、自然保護運動の一つの在り方として素晴らしい試みであると信じています。二一世紀は「人権と環境の世紀」にしなければならないといわれています。日本人は古代から自然を敬い、自然とともに生きてきた優れた倫理観を持っていました。こうした哲学が今や失われつつあります。

 みなさんのトラスト運動が成功することは、失われた日本人の心を取り戻す重要な運動の一環になることでしょう。

▽壮大なる愚行
 久しぶりに訪れた思い出の地、諫早湾は悲しい姿をさらしていた。潮受け堤防の内側には、なんとセイタカアワダチソウが、いたるところに群生し、荒涼とした世界が広がっていた。漁業への悪影響を懸念する漁業関係者や環境破壊を恐れる多くの人々の反対を無視して、国は干拓事業の続行を選択した。

 私は個人的に、この干拓事業は国家官僚と地方官僚、そしてゼネコン、利権政治家が一体となった大義なき壮大なる愚行だと考えている。農業の担い手が減少する中で、干拓による農地造成にどういう意味があるのだろうか。もっと肥沃で条件のいい農地でさえ、後継者がいなくなっているのだ。

 現在の干拓の主目的は水害の防止ということだが、私が取材していた時の主目的は、農地と水不足解消のための淡水湖の造成だった。しかし、淡水湖の水は飲料水に適さないことが判明した。看板の書き換えを余儀なくされたとしか思いようがない。今からでも遅くない。意味のない環境破壊は、早急に中止すべきだ。

▽知床で夢を買いませんか!
 ウトロにこだわったのは、ここが「しれとこ100平方メートル運動」の舞台になっているからだ。「しれとこ100平方メートル運動」は、昭和52年、知床の開拓の跡地を開発の危機から救うために、「土地を買い取り、植林して緑を回復させよう」という斜里町の呼び掛けで始まった。
 「知床で夢を買いませんか!」というキャッチコピーが、多くの人々の心をとらえ、平成9年3月、4万9千人もの人々の協力によって募金目標が達成された。この運動は、日本のナショナル・トラスト運動に大きな影響を与えた。「北鎌倉の景観を後生に伝える基金」の設立する際にも、斜里町の担当者に資料提供やアドバイスをしていただいた。この場であらためて感謝の気持ちを述べたい。

▽100点満点、いやそれ以上!
 初めて訪れた知床には、予想をはるかにこえた素晴らしい自然が残されていた。知床の自然は豊かな海と山と大地が、見事に調和していた。木もれ日のさす100平方メートル運動の森をあるいていたら、とてもいい匂いがした。時々エゾシカも顔を覗かせ、気持ちが和んだ。温泉宿では、とびっきり新鮮な魚と野菜が出た。

 私たちには夢があります。知床の峰峰の麓に太古の森と野生の躍動がよみがえる日の夢が―。募金目標を達成した「しれとこ100平方メートル運動」は、新しい夢に向かってスタートを切ったという。せっかくの機会なので、斜里町の午来 昌町長 に「しれとこ100平方メートル運動」について聞いてみた。すると以下のように力強く自信に満ちた答えが返ってきた。

  ―「しれとこ100平方メートル運動」にかける思いを聞かせて下さい。
 午来町長 もちろん、これからの道のりは長いが、ふるさとの自然環境をどう守るかということが、全ての基本!

  ―「しれとこ100平方メートル運動」の現時点の自己採点を。
 午来町長 この運動は100点満点、いやそれ以上!

  ―「しれとこ100平方メートル運動」今後の展開は?
 午来町長 「森づくり」は息の長い運動。百年、二百年先に向けて歩み続ける!


【参考】
「しれとこ100平方メートル運動」(斜里町HPより)
http://www.ohotuku26.or.jp/shari/100m2/

▽自然の宝庫、知床
 知床半島は北海道の東の端、オホーツク海の最南端に位置しています。海からすぐ山々がそびえる急峻な地形で、海岸線のほとんどは断崖になっています。人を寄せ付けない地形と、厳しい気象条件によって知床の自然は守られてきました。山、森、草原、湖沼、川、海などの多様な自然環境が、まとまった形で今でも残されており、多くの野生動物が生息しております。

▽開発の手が!
 1度は運動地を訪れ、自然の美しさに触れた人なら信じられないかもしれませんが、開拓が行われた時代がありました。しかし、開拓地の自然環境は厳しく、人々の去った跡には、かつての農耕地の跡が残ってしまいました。右の写真で深い緑色の中にひときわ色の明るい部分が分かるでしょうか。それがかつての農耕地の跡です。当時開発が盛んに行われており、ここ知床の開拓跡地も、再び開発の危機にさらされていたのです!

▽しれとこ100平方メートル運動」のスタート
 自然を再び開発から守るためにはどうすればいいのでしょうか?そのとき、知床の開拓跡地を守るために考え出されたのは、みんなで少しずつお金を出しあって土地を買い取る「ナショナルトラスト運動」でした。当時、一口100平方メートル相当分の寄付を呼びかけたこの運動は「しれとこ100平方メートル運動」と名づけられ、全国に広がりました。
 運動が開始されてから土地の保全は順調に進み、1997年、運動開始20年目にしてついに全ての土地を守ることができる目標金額のお金が集まり、土地を買い上げる活動は終了することができたのです。

▽新しい展開、「100平方メートル運動の森・トラスト」へ
 土地の買い上げる活動を終了して、私達の役目は終わったわけではありません。一度開発された土地は放っておいても豊かな森には戻らず、どんどん荒廃していってしまうからです。せっかく皆さんの寄付で土地を保全しても、それだけでは本当の意味で自然を守ったとは言えません。今度は開拓跡地を保全する活動から原生の森へ復元する活動へと、次なる展開「100平方メートル運動の森・トラスト」がスタートしました。
 次なる目標は、人間によって破壊された自然を再び人間の手によって自然を復元することです。一度開発された土地を、森だけでなくかつて知床に棲んでいた生物全体も含めて太古の姿に復元する試みです。知床が原生の森にかえり、本当の意味で私たちの役目が終わる日まで何百年かかるか分かりませんが、その日が来るまで活動は続きます。新しい運動が始まって数年、この試みはまだ始まったばかりなのです。(了)

【諫早湾】 【知床の森】
潮受け堤防の外に広がる干潟
羅臼岳と100平方メートル運動の森
潮受け堤防 100平方メートル運動の案内版
潮受け堤防と立て看板 100平方メートル運動の案内版
潮受け堤防の内側に群生するセイタカアワダチソウ
知床連山に降った雪と雨が地下に浸透して、湧き出ているといわれるフレぺの滝
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