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  さようなら2002年、あの美しい瞬間(とき)―夕陽と紅葉、そして虹―

 今年に入り、夕陽を追いかけるようになった。何がきっかけになったのかは、記憶に定かでない。口数が多い方なのに、あまりの美しさに、一言も言葉を発せずに沈みゆく夕陽を見つめている。

▽壮大な光のショー
 遅くとも夕陽が沈む30分前には、胸をどきどきさせながら、夕陽のスポットに足を運ぶ。現場に到着すると、既に何人かが、三脚ををたててその瞬間を待っている。聞けばかなり遠方から、天気予報などを入念にチェックし、やってきている人もいる。
 壮大な光のショーは、空がだんだんと赤みを帯びていくことから始まる。夕陽はゆっくりゆっくり、海や山に落ちていき、最後にすっと消える。沈んでから、西の空は、さらに赤みを増す。
 海に落ちる夕陽は、格別だ。沈んでいくゆく夕陽を追うように、海面に光の帯ができる。光の帯はきらめき、まばゆい。そこを漁船が横切ることもある。漁船は逆シルエットになって目に映る。その時、自らが漁船に乗り、光の帯を渡っているような錯覚に陥る。

▽虚空蔵求聞持法
 友人が私の立石海岸の夕陽の写真を見ていった。「真言宗の開祖、空海が明けの明星を見て、秘法を成就したといわれているが、嘘じゃないような気がしますね」。
 ここに登場する秘法とは「虚空蔵求聞持法」。会得すれば見聞、知覚したすべてを記憶できるとされる。
 「『ナモ.アキャシャ.キャラバヤ.オン.アリキャ.マリボリ.ソワカ』。真言を唱え、(虚空のごとく無量の智恵や功徳を有する)虚空蔵菩薩の化身である明けの明星を心に感じ、さらに真言を唱え続ける。やがて夜明けが近づき、空に明星が姿を現す。と、その明星がにわかに輝きを増したかと思うと、突然、動いた。その光の塊はみるみる洞窟に接近し、洞内に溢れ、やがてすさまじい衝撃とともに、空海の口中にとびこんできた。その瞬間、空海は虚空蔵菩薩と一体化した。体内に溢れる虚空蔵菩薩の無量無辺の力を実感した。『虚空蔵求聞持法』の秘法は成就したのだ」(「密教の本」学研)。

▽欠くことのできない「舞台装置」
 国際マンダラ協会会長の田中成明師(真言宗)は、著書の「神通力」(総合法令)の中で「(釈尊は暁の明星を見て大悟された)。口の中に星が飛び込んだように感じたというのは、しばしばトランス状態、意識不明に陥っていたのだと思います」と分析している。
 凡人の私でさえ、夕陽を見ていると普段とは違う厳粛な気持ちになる。太陽、月、星は、日本に限らず、世界各地で、民族を問わず、信仰の対象になっている。太陽、月、星に象徴される美しい自然は、宗教が成立する上で、欠くことのできない「舞台装置」の役割を果たしてきたのだろう。

▽自然を超える芸術家はいない
 11月は夕陽以外にも美しい瞬間に巡り会い、そして写真におさめることができた。
1枚が丹沢湖の紅葉。もう一枚が、自宅の2階の窓から撮影した虹。
 北鎌倉湧水ネットワークのHPの制作に協力いただいているサラリーマンスタイル.ドット.コムの平野恵子代表からは「丹沢湖の写真、感激です。紅葉と湖の色の組み合わせが、この国の伝統的な色という感じです。打掛や小袖の色のようです」と嬉しいコメントをいただいた。
サラリーマンスタイル.ドット.コム
http://www.salaryman-style.com/
 虹は午前7時前に撮影した。2年前、山中湖にかかった虹をとったことがあるが、今回の虹の方が鮮明に撮影できた。大船の街の上空にかかっていた。しかも二重に(二重の写真より一重の写真の方が鮮明だったので、こちらを掲載した)。
 サクラもそうだが、夕陽、紅葉、虹が美しいのは、「美」が永続せずに「瞬間」にとどまるからだろう。しかし、「美」を創造する営みは、果てしなく繰り返される。これがすごい。自然を超える芸術家はいない―。最近つくづく、そう思うようになった。

*来年も北鎌倉情報を発信します!
 数年前からの年末年始のパターンは大晦日に円覚寺で、除夜の鐘を突かせてもらい、見晴し台で甘酒をすすり、体を温めます。そして、元旦は六国見山で初日の出を拝みます。
今年の大晦日と来年の元旦もそうするつもりです。
 これまで、北鎌倉湧水ネットワークのHPへアクセスしていただき、ありがとうございました。
来年も北鎌倉をベースにしたコンテンツを発信しますので、よろしくお願いいたします。

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夕陽(六国見山山頂、左側に小さく江ノ島の灯台が見える)

夕陽2(立石海岸、葉山町)

夕陽3(七里が浜、右手前が江ノ島)

夕陽4(堂が島、西伊豆)

丹沢湖の紅葉

大船上空にかかる虹

六国見山山頂の初日の出

除夜の鐘(円覚寺)
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