【4】自然が人間の心を癒す
日本産業カウンセラー協会の月報「産業カウンセリング」二〇〇一年一月号

 自然が持つ癒しの効果については、科学的にも立証されており、何をいまさらといわれるかもしれないが、敢えて自然と癒しについて触れてみたい。

▽ 風にも季節の色彩と匂いがある
 横浜から北鎌倉に転居して、五年が経過した。かっての横浜の住まいは、首都圏にあっては、比較的緑が多かった。しかし、樹木は自然に生えていたものではなく、大部分が植樹されたものだった。いわば人工的な自然といっていいのかもしれない。現在の住居は、円覚寺の裏にある六国見山(ろっこくけんざん)の中腹にある。自宅前の六メートル道路の先は、六国見山の森で、自宅から二、三分歩くと山頂への登山道がある。六国見山の名前は、その昔、山頂から相模、伊豆、武蔵、上総、下総、安房の国々が一望できたことに由来する。
 ヤマザクラ、アジサイ、サザンカなどの開花や落葉樹の芽吹きから落葉までを目の当たりにすることによって、春夏秋冬の移ろいが、実にはっきりと確認できる。猫の額ほどの広さの庭の樹木には、シジュウカラ、メジロ、アオジなどの野鳥が飛来してくる。風にも季節ごとの色彩と匂いがあることを初めて知った。自らの中で失われていた季節感を取り戻すことができたと思っている。
 自然の中での暮らしは、私の考え方や行動に大きな変化をもたらした。端的に言えば「生きとし生けるもの」「生命(いのち)」という概念を抽象的にではなく、具体的なイメージを持って、現実の生活の中で意識するようになった。2千年五月中旬、地主の方の好意で、約百平方メートルの畑をお借りすることができた。二、三年何も作らずに放置されていたので、雑草が生い茂っていた。
 夏野菜の苗を植えるタイムリミットだったので、約一週間、午前四時に起床し、出勤前の三時間鍬とスコップで、雑草を取り払った。びっしりと張り巡らされた雑草の根は非常に堅固で、鍬やスコップの侵入をはじき返した。農家の方にはどうということはないだろうが、私にとっては大変な重労働だった。しかし、掘り起こした大地からわきあがって来る土の匂いは、私の心に安らぎを与え、心身をリフレッシュさせてくれた。

▽ 園芸療法の効果を体感
 カウンセラー養成講座で、「園芸療法」があることを学んだが、その効果をまざまざと体感した。種をまく。芽が出る。花が咲く。実を結ぶ。その間、嵐も来れば、、虫や鳥に襲われる。もちろん完全有機、無農薬を栽培を実践している。大げさにいうとそこには生命(いのち)の感動的なドラマがある。もし、心を病み、その心象風景が、地面をコンクリートで固めた冬の費の曇天の公園であるなら、だまされたと思って、一度土の匂いを嗅ぎ、その土を自分の手で触れてみてほしい。再生のきっかけがつかめるかもしれない。お借りしている畑には梅の木が植わっている。落葉しはじめた枝には翌春の開花に備えて、早くも小さな花のつぼみが膨らみ始めている。自然の営みは、確かで力強い。
 二〇〇〇年春、シオン診療所の町田隆弘所長のお話を聞く機会があった。「百姓医者」を自称する町田所長は、都会の開業医を辞めて、北に丹沢、西に箱根の山々が望める神奈川県足柄郡中井町に移住した。西洋医学と東洋医学の融合を図るとともに、正しい食事の指導を基本とする食養(しょくよう)内科を実践するためだった。薬だけに頼る西洋医学の疑問が出発点だった。
 午前中は農作業、午後から診療している。診療は予約のみで一日二人まで受け付ける。診療時間は一人二時間。患者の話にじっくり耳を傾け、ハリやキュウなどの治療を施す。「農園の野菜は有機、無農薬で作る。土は農薬を使わないかと自然に良くなる。この土と親しみ、“気”をいただきながら、自分で作った野菜を食べる。健康そのものだ。今は理想的な行き方をしている」と語る町田署長の表情は穏やかそのものだ。

▽ 作者不明の西洋人の詩
 この原稿を書いていたら、とても悲しくて切ない出来事に遭遇した。私が「北鎌倉の景観を後世に伝える基金」(なだ いなだ代表、会員約600人)の設立時に、参加をお願いし、現在、会報と機関誌作成の協力をいただいている方のたった一人のお孫さんが、オーストリア・アルプスのケーブカー火災事故に巻き込まれてしまった。大学のスキー部に在籍し、マネージャーとして活躍されていた。トラストの会議などに、「おじいちゃん」を車に乗せて送り迎えするほほえましい光景を何回かお見かけした。明るくて健康的な本当にチャーミングなお嬢さんだった。
 この方は押しかけてきた報道陣の前では、背筋をピンと伸ばし、気丈に対応されていた。でも、その心情を思いやると、私には言うべき言葉がない。カウンセラーの端くれなのに「何か困ったことがあったら遠慮なくおっしゃってください」というのが精一杯で、実に情けない。現時点(二〇〇〇年十一月十六日)では、DNA鑑定による身元確認が済んでいない。
 もっと事実関係がはっきりし、事実を事実として受け入れられるようになった時、この方に私が尊敬してやまない河合ハ隼雄さんが書かれた「ユング心理学と仏教」(岩波書店)の中で紹介されている「作者不明の西洋人の詩」をお教えしたいと思う。お彼岸のとき、円覚醒寺の大鐘のある高台から、お墓参りにきた人たちの姿を見ているうちに、ふと思った。「お墓に入ってしまった人は、肉体的には存在していない。しかし、その人を偲んでお墓参りにきた人にとっては、その人の心の中でずっと生き続けている…」。その後、この詩に巡り合った。

一〇〇〇の風
私の墓石に前に立って
涙を流さないで下さい。
私はそこにいません。
私は1000の風になって
吹きぬけています。
私はダイヤモンドのように
雲の上で輝いています。
私は陽の光になって
熟した穀物にふりそそいでいます。
秋には
やさしい雨になります。
朝の静けさのなかで
あなたが目ざめるとき
私はすばやい流れとなって
駈けあがり
鳥たちを
空でくるくる舞わせています。
夜には星になり
私はそっと光っています。
どうか、墓石の前で
泣かないで下さい。
私はそこにいません。
私は死んでいないのです。