わが故郷の千葉県・東庄町と北鎌倉での連続コンサートの後半戦、「レヴィン追悼コンサートin建長寺」が6月10日、建長寺方丈で開催された。関東地方は、コンサート前日の9日に梅雨入りしたばかり。当日の天候が心配されたが、朝から青空が広がり、絶好の「コンサート日和」に。会場は約300人の聴衆で埋まった。前半戦の「レヴィン追悼コンサートin東庄」熱気が、北鎌倉にも伝播した。
▽収益を「レヴィン文化財基金」へ寄付
満席になったことで、コンサートの収支は約8万円の黒字となった。コンサート開催の趣旨に沿って、5万円をレヴィンの生まれ育った東庄町に新設された「レヴィン文化財基金」に寄付した。残りは12月2日、神奈川県秦野市で開催が予定されている第3回団塊サミット関連経費に使用する方針だ。
多くの方々の「手弁当」による協力で、コンサートを開催することができた。しかも、黒字まで出せた。「レヴィン文化財基金」への寄付額は、ささやかではある。しかし、「レヴィンの系譜」を故郷の文化財にしようとコンサートを提案した当事者と、その賛同者にとっては、次なるステップを踏み出す上で、大きな励みとなる。協力者やコンサート入場者に深く感謝したい。
▽コンサートは「分散型市民運動」の新たな実践例
北鎌倉湧水ネットワークのコアメンバーはわずか6人。少ない人数ではあるが、これまで、北鎌倉の湧水を仕込んだ地ビール「北鎌倉の恵み」プロジェクト、第1回団塊サミットなどの先駆的で大掛かりな事業を展開し、成功させている。少ない人数でなぜ、これば可能なのか。
答えは志を同じくした個人や組織が、ネットワークを通じて緩やかに連携、相互に得意技を提供し合って、目標を達成するという分散型市民運動」という新たなコンセプトを提起し、実践しているからだ。追悼コンサートは「分散型市民運動」の新たな実践例だ。
▽JUONの仲間とは前日の懇親会で交流深める
故郷再生と交通事故撲滅の願いを込めて開催された10日のコンサートは、都市と農山漁村の人々をネットワークで結び、過疎過密の問題の解決に取り組んでいるNPO法人・JUON
NETWORKの第8回総会・記念イベント「古都北鎌倉で樹恩の明日を語ろう!」の一環として開催された。イベント全体を北鎌倉湧水ネットワークが後援し、プログラムの一部で、北鎌倉湧水ネットワークが主催する「レヴィン追悼コンサート」をJUON
NETWORKが後援した。
二つの組織のコラボレーションの具体的な中身は、地元の北鎌倉湧水ネットワークが、JUONの総会の会場の確保や分科会へ協力する一方で、JUONはコンサート入場者数の確保などを約束した。前日の9日には、鎌倉市の「食工房 わ」で、双方のメンバーが顔合わせを兼ねた懇親会を開き、交流を深めた。
10日のUONの総会後の夕食会には横浜ビールがサービス価格で、70本の地ビール「北鎌倉の恵み」を提供してくれた。来年、第4回団塊サミットを主催するNPO法人「緑のダム北相模」の北鎌倉の責任者である兼松まゆみさんは、コンサートの受付を手伝ってくれたほか、東慶寺の竹林の整備に伴い切り出した竹をビールジョッキがわりに提供を申し出た。
▽建長寺がレヴィン、交通事故でなくなった人々を供養
第1回団塊サミットと同じく連続追悼コンサートの後半戦の会場は建長寺だ。今回も連続追悼コンサートの成功の鍵は、二つのコンサートを後援してくれた建長寺が握っていた。キーパーソンは、建長寺NO2の高井正俊宗務総長。会場となった建長寺の方丈は、大本山である建長寺の重要セレモニーが開催される、極めて重要な場所である。重要セレモニーとの日程調整をし、会場の確保にお骨折りをいただいた。
しかも、コンサートの冒頭には、「是非、般若心経」という要請に即座に応じ、「(レヴィンの本名である)『高木昌宣(まさよし)』)さん、それに交通事故でなくなった人々を供養したいと思います」とわざわざことわり、般若心経を唱えてくれた。高井宗務総長の計らいで、「単なるコンサートではなく追悼コンサート」との主催者の意図が、入場者に明確になった。遺族や東庄町関係者は、ものすごく感激していた。
▽大型観光バスは東庄町を午前6時半に出発
東庄町の人たちはなんと、大型観光バス2台に分乗し、午後6時半に現地を出発、建長寺に向かった。5月20日に開催された「レヴィン追悼コンサートin東庄」では、定員400人の東庄町公民館に関係者も含めると約600人もの人々が集まり、大盛況となった。この時の熱気がそのまま持続したようだ。故郷のコンサートが盛況だったのは、都会とは違って、人と人との関係が希薄化していない地域社会で、官民の「協働」が無理なく成立したことが背景だ。
▽ポスター、チラシ、チケットは夢工房が実費で請け負った!
レヴィンの遺作は詩集「レヴィンの系譜」として、昨年の5月2日の命日に、夢工房(片桐務代表)から出版された。レヴィンの遺族は追悼コンサートの席上、挨拶の中で片桐代表、詩に曲を付け、歌っている盧さん、それに出版とコンサートの開催に協力した私を「レヴィンの生みの親であり育ての親」と述べた。追悼コンサートのためのポスター、チラシ、チケットの制作に当たって、「実費でお願いしたい」という私の虫のいい申し出に、片桐代表は「分かりました」と頷いた。