2006
【21】

 シリーズ・団塊世代よ、帰りなん、いざ故郷へ!
レヴィン追悼コンサートin東庄、佐藤宗之以来の大盛況!

   
熱唱する盧佳世さん(撮影:野口 玲)

―町一丸の取り組みが功奏、会場に超満員600人―
5月20日に開催された「レヴィン追悼コンサートin東庄」(主催:レヴィン追悼コンサートin東庄・実行委員会)は、定員400人の東庄町公民館に関係者も含めると約600人もの人々が集まり、大盛況となった。同公民館にこれだけの人数が集まったのは2度目で、青葉城恋歌がメガヒットした佐藤宗之の10年以上前のコンサート以来だという。
*渾身レヴィン追悼コンサート!盧佳世の祈り
―故郷再生と交通事故撲滅の願いを込めて― 
http://www.kitakama-yusui.net/9/dengon14.html
                                          
▽ 官民「協働」が無理なく成立
大盛況となったのは、都会とは違って、人と人との関係が希薄化していない地域社会で、官民の「協働」が無理なく成立し、東庄町がこのコンサートを成功させるために、一丸となって取り組んだためである。
 主催者の「レヴィン追悼コンサートin東庄・実行委員会」は、メンバーが約30人で、東庄町役場職員、地元の音楽愛好家の集まりである「音色の会」、遺族、商工会議所、農協関係者というメンバー構成になっている。

▽持ち味を生かし、「火の玉」に
 東庄町役場職員は企画、調整、広報担当役となり、会場の確保、東庄町の広報誌、町内会組織など、町の情報インフラを使ったコンサートの告知、メディア対策に奔走した。東庄町公民館でこれまで何度かコンサートを開催してきた「音色の会」は、蓄積したノウハウを遺憾なく発揮した。
 かくのごとく、それぞれが持ち味を生かし、「火の玉」となって動いた。このコンサートの関わった人たちは、それぞれが達成感を持ったのではないか。達成感は自信につながる。講演で、詩集「レヴィンの系譜」を故郷・東庄町の文化財に!と呼びかけたが、「レヴィン追悼コンサートin東庄」の成功は、この呼びかけが、将来、実現する可能性を予感させた。

●「レヴィンの系譜誕生秘話と今後の展開」講演要旨
 ―詩集「レヴィンの系譜」を故郷・東庄町の文化財に!―
                     北鎌倉湧水ネットワーク代表 野口 稔
■詩集「レヴィンの系譜」出版の経緯
 「人は縁によって結ばれ、生かされている」と言われているが、本日のコンサートはまさにこの言葉が真実であることを立証した。レヴィンの父親の親友である私の従兄から届いた一通の手紙からすべては始まった。手紙には優しく、美しく、みずみずしい感性にあふれた詩とエッセイが同封されていた。しかも、レヴィンの遺言ともいえる詩には、今の日本に必要なメッセージがぎっしりと詰まっていた。そのメッセージとは一言で言えば、他者へのいたわりであり、思いやりだ。現状は俺が俺がというエゴが蔓延、日本が壊れようとしている。レヴィンは日本の危機的な状況に警鐘を鳴らした。この遺作を世の中に出したいので、協力してほしいというのが従兄の手紙の趣旨だった。さっそく、志を同じくした盟友である丹沢の麓にある地域出版社「夢工房」の片桐務さんに、遺族の思いを託した。

■盧佳世さんの歌が生まれたきっかけと不思議な縁
 きっかけは、場所としての「縁切り寺」(東慶寺)。私は北鎌倉らしい街づくりを目指す市民団体「北鎌倉まちづくり協議会」の会員である。「北鎌倉まちづくり協議会」は毎年、春と秋に東慶寺、浄智寺、円覚寺の参道で、「北鎌倉匠の市」を開催している。盧さんはあるとき、匠の市の手伝いにやってきた。東慶寺の参道で、初対面した。その後盧さんは歌手でビュー。匠の市の打ち上げで、盧さんの歌を初めて耳にした。曲は長崎出身のシンガーソングライター、さだ まさしの名曲「縁切り寺」。
 詩集「レヴィンの系譜」の自費出版の話を盧さんにしたら、是非、見せてほしいというので、差し上げた。そうしたら、曲付けて、歌ってくれた。歌を初披露したのがレストラン横浜の「うまやの食卓」。私の2冊目の本「団塊世代よ、帰りなん、いざ故郷へ!」の出版記念会の会場だ。レヴィンのお母さんが駆けつけてくれて、とても喜んでくれた。

*不思議な縁
・9月14日は、レヴィンの誕生日であり、盧さんの母親の命日。さらに、「横浜のうまやの食卓」のオーナーの誕生日。
・レヴィンの名前は昌宣(まさよし)。レヴィンの父親の名は利昌(としまさ)。盧さんの母親の日本名は、昌代(まさよ)と利子(としこ)の二つ。
・レヴィンの詩はHP「レヴィンの系譜」に掲載されていた。このHP制作のサポートをしていたのが友人の「こころさん」(ハンドルネーム)。盧さんは1stアルバムは「マウム〜こころ〜」。

■今後の展開
 宮沢賢治の先例に学び、「レヴィンの系譜」を故郷の文化財と位置付け、東庄町の活性化に向けた精神的基盤にする。本日のコンサートを成功させ、次のステップは「レヴィンの系譜」の詩碑の建設。さらには、歴史的な価値を持つ故郷の重要な文化財(例えば社の傷みが激しい東大社、2010年の神幸祭をにらみ)の保全も視野に入れる。
文化財の価値に注目し、誇りを持って、街を活性化させよう。「何もないところで」が故郷の挨拶代わり。違う。豊かな「資産」に溢れている。気付かないだけだ。

■6月10日建長寺で再会を!
 わが故郷、東庄町と私の住んでいる鎌倉は縁が深い。元の東庄町の領主は鎌倉幕府の三代将軍、源実朝に仕え、かつ日本を代表する歌人、藤原定家の兄弟弟子だった。

*人は縁によって結ばれ、生かされている!
「仏教の根本の教えは、『縁起』の法則である。命は点ではない。先祖のご縁のお陰。この身、一身に集まっている。生きているのではない。限りない縁によって、生かされているのだ」(足立大進・円覚寺管長)

コンサート風景(撮影:野口 玲)
感動する大観衆
バックバンドも充実

講演する野口稔・
北鎌倉湧水ネットワーク代表

コンサートを盛り上げた「音色の会」
迫力満点、「音色の会」のボーカル
花束を受け取るレヴィンの遺族代表
盧佳世さんのサイン会
撮影:野口 玲

 

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