2004
vol9

 シリーズ・団塊世代よ、帰りなん、いざ故郷へ!
 第10回―「体が動く限り農業をやりたい」―

 体が動く限り農業をやりたい
―丹沢の棚田復元に汗を流す童話作家の岡 進さん―


【プロフィール】
1944年神奈川県秦野市生まれ。童話作家。特定非営利活動法人「自然塾丹沢ドン会」理事長。主著に『ドンドンが怒った 森の動物たちの反乱』『ドンドンのフンババ大作戦 森の動物たちの反乱(2)』(いずれも夢工房)。丹沢の棚田復元に尽力中。趣味の陶芸は35年の経歴があり、各地のデパートなどで個展を開催している。
http://www.donkai.com/

 童話作家の岡さんは、丹沢山麓を拠点に里山保全などの自然活動をしているNPO法人「自然塾丹沢ドン会」の理事長でもある。
「丹沢ドン会」は、創設メンバーの中核が団塊世代で、約8割が実際の故郷は別にある。ある時期から丹沢の魅力に取りつかれ、住み着いている人が多いと聞いた。昭和19年生まれの岡さんは、年代的にいうと団塊世代の兄貴分である。
単に年齢が上というだけでなく、今は絶滅してしまった「ガキ大将」あるいは「番長」といった趣がある。「丹沢ドン会」の「頭」として実に据わりがいい。

▽燃料革命で山村が消滅
 「丹沢ドン会」の多くの中核メンバーと違って、岡さんは丹沢の麓の秦野市に生まれ、育ち、そして今なお暮らしている。農家出身ではない。しかし、戦後から昭和30年代まで、食糧生産の場として丹沢山麓一帯の農村が活気付き、輝いていた時代の「美しい農村」の風景が、今でも頭の中に鮮明に残っている。「田畑は最大限に開墾され、作付けされていましたし、山も見事なほどに人の手が行き届いていました。野は明るく、さえぎるものがなく、道はどこまでも続いているように思えました」
昭和30年代からスタートした日本の高度経済成長が、丹沢の自然とそこに暮らす人々の暮らしを一変させた。燃料革命は、まず山村を消滅させた。生活の必需品だった薪と炭が、灯油とプロパンガスに取って代わられた。薪と炭の「生産基地」である里山を不要な存在にした。「その結果、山は荒れ、一方で開発が進みました。ゴルフ場が生まれ、団地が次々に建設されました」

▽増加する耕作放棄地
農地もまた耕作放棄地が増えている。「『昭和ヒトケタ世代』は先代から農業の心と技を引き継いでいますから、兼業農家になっても、田畑を遊ばせることはしませんでした。でも、その息子たちはサラリーマンなので、無理して農地を耕す気がありません。農地や農業に執着がないからです。今や『昭和ヒトケタ世代』は70歳を超えました。農業を続けたくても体がいうことをききません」
 「山へ行くと草ぼうぼう、畑にはススキが茂る、こういう社会をつくり出してしまったのが、私たちの世代だったと思います」。団塊世代は高度経済成長の先兵として、日本の経済大国化に貢献した。
一方で、ブルドーザーのように自然を破壊してしまった。岡さんは自然破壊を推進した団塊の世代に、上司として指示を与える立場の世代に属している。岡さんの「丹沢ドン会」の活動の原点には「贖罪意識」が働いているのかもしれない。

▽ 美しい農村は農家の営みの産物
今、岡さんが力を入れて取り組んでいるのが、秦野市名古木地区の棚田の復元だ。昨年までに7枚(20アール)復元した。棚田の一部では、常識とは逆の「耕さないほうがいい」という不耕起栽培に挑戦している。
冬の間も水を張る。雑草の成長が抑制される一方で、藻類が増加する。藻類は酸素を吐き出し、水をきれいにし、最後は自然堆肥にもなる。地下水源の涵養にも役立つというこの方法は、人にも環境にも優しい自然農法なのだそうだ。
棚田のあった場所はかつて、丹沢でも一番というくらい美しい里山の風景が広がっていたが、柳、アシ、ススキ、グミ、桑の潅木が生い茂る荒野と化していた。「小川の流れも、どこにあるのか分りませんでした。復元というより開拓と表現した方が、適切です。『美しい農村』という言葉に象徴される景観は、農家の営みの産物だったのですね。そのいとなみが途絶えたなら、再現すればいい。家族という単位でできないのであれば、人海戦術で、荒れた農地を復活させればいいのです。スローガンや調査研究だけで、景観が蘇るわけではありません。そんな運動はむなしいだけです」

▽汗の分だけ収穫の喜びは大きい
2004年12月5日、「丹沢ドン会」は復元した棚田の脇の広場で、収穫感謝祭を開いた。
この年の食べ物作りの収穫は、米約300キログラム、小麦240キログラム。ソバ60キログラム。そばの収穫量が少ないのは、収穫時期に何度も襲来した台風の影響だ。この日の収穫感謝祭には、地元の農家や会員及びその家族約120人が集まり、大盛況だった。参加者には棚田から収穫した米でつくったおにぎりが振舞われた。汗の結晶としてのおにぎりを美味しそうにほおばる、嬉々とした表情の団塊世代の姿があちこちで見られた。
「農作業は辛い。でも、辛い汗を流した分だけ、収穫の喜びは大きいはずです。体験が大事だと思います。
実際に入梅の時期に田植えをし、その稲を秋に収穫すれば、なんともいえない達成感があります。会社組織の中では、歯車の一つにしか過ぎませんでした。多くのサラリーマンは、そういった達成感のようなものを味わってこなかったのではないでしょうか。一緒に達成感を味わってほしいな、と思っています」。
岡さんの、塊の大きい団塊世代に寄せる期待は大きい。

▽自分の居場所は存在価値
こうも思う。「自分の居場所というのは存在価値だと思います。居場所が無いということは存在価値が無いということですから、居場所は一生懸命探さなければならないのではないか」。
自宅の周辺には、定年退職組が大勢いる。が、会社での肩書を喪失後、どこかに飛び込むことが下手で、社会との交流が持てないでいる人が多い。生きるためのしがらみから抜け出せないでいるのだ。「私たちの活動している丹沢には居場所があります。山の中にはしがらみがありません。ぜひ来ていただきたいと思います」
昨秋、棚田の稲刈りに立ち会った。
「居残り残暑」で、真夏を思わせる強い日差しが照りつけ、暑い日だった。岡さんに「夢は?」と聞いてみた。「フー、暑いな」と流れ落ちる汗を、手ぬぐいでぬぐいながら岡さんは言った。「体が動く限り農業をやりたいな。自然の中でものを作っていたいんです」。

この人は心底、自分の故郷である丹沢の自然とそこでの暮らしが好きなんだと思った。
丹沢は自宅のある北鎌倉からは距離がある。でも、その山並みは自宅の2階の窓から、毎日見ることができる。
丹沢は春夏秋冬、いつ見ても美しい。
                        (了)

 

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