―北相模の森で自分の居場所を探す
丸茂喬(まるも・たかし)さん―
【プロフィール】
1945年山梨県生まれ。71年、東京造型大学ビジュアルデザイン学科卒。マルモ出版編集長兼社長。季刊誌「マイガーデン」「ランドスケープデザイン」などを発行しているマルモ出版(http://www.marumo-p.co.jp/)は、環境の時代と呼ばれる現代を見据え、先駆的なメディアとしての社会貢献の道を模索している。特定非営利活動法人(NPO)「緑のダム北相模」(http://www008.upp.so-net.ne.jp/kitasagami/)理事
。
「会社に行く時とは、表情がまるで違うねって、妻にいわれるんです」。特定非営利活動法人(NPO)「緑のダム北相模」のフィールドである神奈川県津久井郡相模湖町の「嵐山」に向かう電車の中で丸茂さんは、浮き浮きした表情で、私に話し掛けてきた。それは、遠足の目的地に向かう少年の表情と同質のものだった。普段の丸茂さんは、哲学者とか宗教の指導者を連想させる、静的な大人の雰囲気を漂わせている。森には、人間の魂を解放させる何かが、宿っているようだ。多分、丸茂さんにとって、「嵐山」は自分の仕事と生き方の自己確認の場になっているのかもしれない。
▽日本唯一の景観専門機関誌の編集長兼社長
丸茂さんは日本で唯一の「ランドスケープ」(景観)専門機関誌「ランドスケープデザイン」を発行するマルモ出版の編集長兼社長だ。「ランドスケープデザイン」は「自然復元」「市民参加」「癒しの場づくり」を念頭に編集している。
「ランドスケープ」の前身は、日本造園コンサルタント協会の機関誌から商業誌になった「JAPAN LANDSCAPE」。読者層は建築家、都市計画、土木に携わる人たちである。1986年の創刊時から、編集を請け負うプロダクションの立場でつくっていたが、思い通りの編集をしたいと考え、版元から独立、「ランドスケープ」を新創刊した。
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ガーデニング講習会の説明をする丸茂喬さん |
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急勾配の「嵐山」の手入れはかなりハードだ!
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▽新鮮な体験がきっかけで「中毒」に
丸茂さんと「嵐山」との出会いのきっかけは、森林の重要性を訴える「緑のダム宣言―森と水を守る人びとがジャンルを超えて動き出した―」(緑のダム準備委員会、マルモ出版)の出版だった。この本の第3章「森を救う木の職人たち」登場する木工芸デザイナーの小田原健氏が、「緑のダム北相模」の前身である「さがみ湖・森つくりの会」の存在を教えてくれた。
「さがみ湖・森つくりの会」は1998年の8月、「緑のダム北相模」の石村黄仁理事らが中心になって活動を開始、NPO・森つくりフォーラムの技術指導を受けながら、毎月1回の定例活動を重ねてきた。2000年4月からは「さがみ湖・森つくりの会」として独立した。
2002年8月には、更に活動の幅を広げるため、NPO法人「緑のダム・北相模」に衣替えした。「環境(森林)破壊という負の遺産を子孫に残してはならない」という理念のもとに、相模湖町の森林の下草刈、間伐、枝打ち等の森林整備ボランティア活動を続けている。
「石村さんに誘われて、相模湖町の森を訪れました。里山ではない、本格的な森の中に入って、作業をしたのは初めての経験でした。それまでは森は外から眺めているだけ。ものすごい急斜面での作業です。簡単ではありません。みんな、遠くから来て、よくここまでやるなと思いました。でも、作業の後の食事、さらにはJR中央線・相模湖駅前の飲み屋での仲間との語らい…。とても新鮮な体験で、以後、完全にはまりました。『中毒』といっていいかもしれませんね」
▽お役に立つなら、自由に使ってください
私が「嵐山」を訪れたのは、今年の6月20日(日)。「緑のダム北相模」の定例活動の日だった。本来なら梅雨の最中だが、異常気象の今年は、夏本番さながらの強い日射しが照りつけていた。海抜405、9メートルの「嵐山」は、相模湖駅から徒歩で10分の距離にある。山の形が京都の嵐山に似ていることから、「嵐山」と呼ばれるようになったという。「森が深い」。これが私の第一印象だった。
「嵐山」は民有地である。所有者は県議会議員を務めたことのある鈴木重彦さんだ。鈴木さんのルーツは、1493年、北条早雲に仕え、小田原入城に戦功のあった初代鈴木兵庫介重光(ひょうごのすけしげみつ)まで遡ることができる。鈴木家は、津久井郡内でも有数の旧家なのだ。
「さがみ湖・森つくりの会」の「相模湖・与瀬の森」での、熱心な活動を目の当たりにして「自分の森が何かのお役に立つなら、自由に使ってください」と約40ヘクタールの森を活動の場に提供した。なんとも太っ腹の人である。「嵐山」の木材が、北鎌倉・建長寺の三門に使われたと聞いた。なぜか、「嵐山」と鈴木さんに親近感を感じた。
▽今では町民の散歩コースに
「緑のダム北相模」の定例活動は、徐々に活動の幅を広げ、森林整備班、炭焼き班、お花畑班、間伐材活用班といった具合に、班ごとに分かれて行われている。私と丸茂さんは別行動をとった。「緑のダム・北相模」の理事に就任した丸茂さんは、現在はお花畑班のリーダーであり、お花畑班はこの日、「第2回ガーデニング講習会」を開催した。私は山の手入れを見たかったので、森林整備班に加わった。
「花畑には、在来の植物を移植しました。今では町民の散歩コースになっています。ガーデニング講習会が、お洒落で素晴らしい庭と花いっぱいの相模湖町の実現に向けた手助けになればいいな、と思っています」と丸茂さん。マルモ出版は、季刊「マイガーデン」を発行するなどガーデニングに力を入れている。講習会の講師は、藤沢市で造園業を営む、丸茂さんの古くからの友人の清水圭司さんが担当した。
▽チームワークが要求される辛い作業
森林整備班の作業現場は「嵐山」の頂上近くの、急こう配の山の斜面にあった。麓からは道なき道を踏みしめ、約30分。アルコールの飲み過ぎで、なまった体には、結構きつい行程だ。昨年、荒れ放題だったこの場所を整備し、1カ月前にはトチノキの苗を植えた。根の張るトチノキを植えることによって、山の保水能力を高め、水源を保全するためだ。
この苗木に被さった葛の葉を手鎌で、除去するのがメーンの作業だった。葛の成長スピードは、ものすごく早く、3−4メートル伸びるのはあっという間だという。放置すればトチノキは育たない。足場が悪く、落石の危険もあった。しかも暑い。チームワークが要求される辛い作業だった。
▽森を仲介にしていい関係が
「嵐山」はほとんどが樹木が密集し、薄暗い。しかし、この日の作業現場の近くに、「緑のダム北相模」のメンバーによって、部分的に間伐され、枝打ちされている林があった。木漏れ日が入り、下草が生え始め、さわやかな風が吹き抜けていた。
「緑のダム北相模」が活動を始めたころは「ボランティアごときに何ができるか」と地元の人々は冷ややかな反応を示したという。「休まず、急がず、楽しく、無理せずに、そしてボチボチと----そして、たくさんの参加で森は良くなる」をモットーにした石村理事たちの地道な活動に、地元住民が徐々に理解を示し始め、行政も協力的になった。都会の人間を中核としたボランティア団体、地主、地元住民、行政が森を仲介にして、いい関係を築きつつある。
「本社のある東京・渋谷にいると、ストレスが猛烈にたまります。北相模の森に来れば月並みな言葉ですが、心身ともに癒やされます。森がすべてを救うといっていいかもしれない。ボランティア活動は自発性を重んじるから、自分のペースで活動できるところがいいですね。『自己管理』なんて、言葉として存在しますが、都心の実際の会社組織の中ではあり得ません。私は北相模の森の活動を通じて、本当の自分の居場所を探し続けているような気がします」
(了)
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