2004
vol.3

 シリーズ・団塊世代よ、帰りなん、いざ故郷へ!
 ー第5回「大根畑に情報産業を育てたい」ー

―IT武器に故郷の活性化を目指す上村人史さん―

【プロフィール】 1948年3月2日生まれ。岐阜県郡上郡高鷲村出身(2004年3月1日に郡上郡の高鷲村を含む7自治体が合併し、郡上市が誕生したのに伴い高鷲村は高鷲町に)。
元大手ソフトウエア会社に勤務していたが、6月30日付けで早期退職制度に応募。自由にアイコンを設定して書き込みができる地図サイト「e−ガリバーマップ」を武器に故郷の活性化を図ろうとしている。

 上村さんの故郷の高鷲村は 東海と北陸の真ん中、長良川の源流に位置する高原の村だ。人口約3600人。基幹産業は農業、観光、建設業。農業は適地適作の原則に従って、大根などの高冷地野菜が中心で、酪農の基盤も整備されつつある。観光の柱は、スキー産業。「大根」の白、「牛乳」の白、「雪」の白を村では“三白産業”と呼んでいる。
 1999年東海北陸自動車道高鷲インターチェンジが開通。将来、中央道から福井県に抜ける中部縦貫道が完成すれば、二つの高速道路の交差点となり、交通の要衝になる。ただ、村の大根畑は担い手がなくなり、荒れ地に戻りつつある。観光産業も交通が便利になったことでスキー客は増えるが、日帰りにシフト、宿泊客が減少し、収益が減る可能性が高い。建設業も高速道路工事や下水の整備が終われば、雇用の大幅減少が懸念されている。
□郡上市
http://www.city.gujo.gifu.jp/ 

「お土産(仕事)を持って故郷に帰るつもり」
と話す上村人史さん

▽きっかけは村のホームページ作り
 元々は会社で、大型コンピュータの開発に携わっていた。「大型コンピュータの自由化で、米IBMに日本市場は完全に制覇されてしまう。そう考えて、あの時代は、官民とも身構えました」。20年以上前のことだ。パソコンは独習である。約30年ほど故郷とは関わりがなかった。「インターネット元年の翌年の1996年、自分でHPを作りました。でも、自分で発信する情報がなかったので、高鷲村に声をかけ、村のホームページ作りを提案したことが、関わるようになったきっかけです」
 上村さんの提案に、高鷲村在住の医師やスキー場の元役員など数人の仲間が賛同してくれた。そこで、NPO団体・たかすマルチメディア推進協議会( http://www.takasu.or.jp/)を立ち上げた。「仲間とやっているのは、インターネットへの理解を深めてもらうために村民に 電子メール、ホームページなどが使えるメールアドレスを無償配布です。それにIT講習会の開催と村民向けメルマガの発行。人口3600人の村でなら、サーバーが1台あれば十分です。仲間だけでも、費用の負担は可能ですが、現在は企業や団体からの協賛金で賄っています」

▽IT産業で雇用を吸収
 「いつか故郷に帰ることを予定して、居場所を作ってきました」という上村さんだけに、村のホームページ作りの提案は、あくまでもワンステップだ。上村さんの頭の中には、将来の故郷の活性化を睨んだ戦略的な構想がある。「目標は故郷に情報産業を作ることです。日本各地で、公共工事に依存した建設産業が廃れることで失われる雇用が問題になっています。われわれはIT産業で吸収することを目標にしています」
 IT産業で雇用を吸収するといっても口でいうほど簡単ではない。かつて、多くの学者が、「顧客は世界中にいる。店はどこにあってもいい」といって、ITが田舎を元気にすると主張していたが、結果は都市集中だった。「仲間と地元密着型のITとは何かを追求した結果が、地図サイトでした。それが『e−ガリバーマップ』の発想の原点です、例えば、プロムナード(緑道)整備計画作成する際、地図上に「トイレ」「階段」「花壇」「ベンチ」などと書き込みます。不都合なら場所を動かしてみます。そこからは国や自治体と、IT技術で武装した地域の測量・土木・建設業者が協力して地域を発展させていく姿が見えてきます。旧来の産業に従事する人たちに新しい仕事を生み出すはずです」

▽e−ガリバーの開発は(株)高鷲情報技術
「e−ガリバーマップ」は故郷から都会に向けた有力な情報発信の手段にもなりうる。「故郷の桜や紅葉の見頃、雪がいつ降るとか、曲がりくねった道が、今は一直線道路になったとか、都会へ出た人間にとっては喉から手の出るほどほしい情報です。故郷の誰かが教えてくれたらすごく嬉しいはず。しかし、故郷の人間しかこの情報は発信できないのに、毎日見慣れているから、発信しようとは思いません。故郷にいると都会の人間が知りたがっている情報がまったく分かっていないことに気付きました」
 「e−ガリバーマップ」の開発は、たかすマルチメディア推進協議会ではなく、上村さんも協力して新たに設立した(株)高鷲情報技術が受け持った。「お金を出しても開発しなければ」というニーズに、NPO団体では対応できなくなったからだ。高鷲情報技術に対しては、行政もバックアップし、上村さんも技術アドバイザーとして関わっている。将来、故郷に帰ったときの就職先として考えている。
 早期退職制度に応募したのに「将来」とことわっている意味は、故郷にお土産、つまり「e−ガリバーマップ」の販路の開拓など、都会でしかできない仕事をもって帰ろうとしているからだ。だから故郷への定住は少し、先になる。「町村合併に伴う閉村という新たな事態への対応が必要になりましたが、シナリオ通り進めば、必ず、故郷の大根畑に情報産業をつくることができると思っています」

▽住民として扱われるには準備期間が必要
 20年とか30年も故郷を離れて都会で暮らしていると、果たして、帰郷しても地元住民の一員として受け入れてもらえるかという心配が付きまとう。「幸い、私は住民の1人として扱ってもらっています。それは定年を迎える10年前から、故郷活性化のために、故郷の人たちと共に汗を流してきたからだと思います。定年後いきなり、私と同じようなことをしようと思ったら、個人でやるか、一緒にやってくれる仲間を都会で見つけるしかないように思います」
 「少子化、情報化の進行に伴い、価値観が変わり、ラフスタイルが変わってきます。故郷の意味を大いに拡大して考えたらいいと思っています。田舎出身者だけでなく、都会生まれの都会育ちの人に故郷を提供するところがあってもいいですよね。交通が便利になったので、都会と田舎の二重生活をしてもいいはず。既に、海外との二重生活者もいます。遊びと仕事を両立させる田舎があってもいい。このような発想で、観光産業は週末の行楽客のための施設競争を止め、仕事もできる観光地にするための環境整備に方向転換してもいい。このような発想をブレーンストーミングで発展させてみたいですね。可能性はいろいろあると思います」 (了)

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