佐川さんは、紫波町のまちづくりに協力するため、紫波中央駅駅舎、上平沢小学校、消防団屯所、虹の保育園の設計、工事管理を担当した。この時、大きな『実験』を試みた。四つの建物に使用する木材を全部地元産に限るとともに、地元の大工さんだけで建設したのだ。「建物を介して、利用者側にも地元の産業や技術に触れる機会を提供したいと思いました。大工さんは30代と60代の組み合わせとしました。プレカット材しか使ったことのない若い世代に、60代の職人の技を伝えてほしかったからです」
▽学校は第二の団らんの場
佐川さんの紫波町への強い入れこみの背景には、従来の公共建築への建築家としての苦い反省も関係しているようだ。「例えば学校建築を考えてみてください。これまでは均質で無表情、地位との関連性という視点が欠落していました。本来なら、学校は、地域の人々の交流の場であるはず。それなのに学校建築がコミニュケーションをぶつぶつ切る役割を果たしてきました」。上平沢小学校は木造平家で3棟から成り立っている。設計にあたり、地域の人々の交流を考え、正面玄関から入るとすぐの場所に多目的ホールを配置した。
「学校は家庭の延長線上にあります。家庭を第一の団らんの場とするなら、学校は第二の団らんの場です。多目的ホールはその象徴です」。2003年6月の上平沢小学校を会場とした森林資源循環フォーラムには、小学生も参加、上平沢小学校の建設に関わった大工さんをはじめとした地元の人々の思い出話しを聞いた。これに先立ち、小学生は建設途中の現場も見学している。そこでは、世代の垣根を取り払ったコミニュケーションが復活し、総合学習の格好の実践の場にもなった。
▽私はどこからともなく吹く風
「地域の建築はつくられる過程の中で大勢の地域の人が関わることで語らいが生まれます。語らいは愛着や、今まで気がつかなかった事など、今までの自分と違う発見をさせてくれます。又未知の事柄も知る機会となります。こうして生まれた人の環はいくつもの多層構造になり地域に厚みを増してくれます。この厚みこそが地域の助け合いや絆として現れる共同体の力、すなわち地域力なのです。それはやがて知恵の体系として受け継がれていくのです」。紫波町に関わることで、「地域力をつくる建築を目指す」という建築家としての進む道もはっきりした。
「私たち団塊の世代が、伝統や文化も含めた日本の原風景を体で覚えている最後の世代ではないでしょうか。団塊の世代以降の世代は、日本の原風景を知識でしか持ち合わせていません。団塊の世代には日本の原風景を後の世代にきちんと引き継ぐ使命があると思います。紫波町の『実験』で感じたことは、私はどこからともなく吹く風であって、地域の人はこの土地を成す土だということでした。風と土が触れあって風土をつくり始めました。私たち団塊の世代って、日本という国を考えた時、風のような存在だと思いませんか」
【参考】
▽「木文化再生友の会」設立宣言
―樹を植える、切る、使う、植える―
http://member.nifty.ne.jp/Kitakama/8/17.html