ふるさとの山に向かいていうことなし
ふるさとの山はありがたきかな
石川啄木 |
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「若い世代に生活力を教えたい」と
話す小林正美さん
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高校を卒業し、故郷を後にした。時は流れ、もうすぐ40年になろうとしている。歳を重ねるごとに故郷のことが気になってきた。故郷には楽しい思いでだけでなく、苦い思い出が幾つもある。若い時は故郷との「距離」を遠く感じた。今はこの「距離」が徐々に近くなっている。
旅とは出発地へ帰ることだ―。古(いにしえ)の哲人の言葉だそうである。定年は人生という「旅」の大きな分岐点である。この分岐点を念頭において、実際の故郷、あるいは第二の故郷と定めた地で新しい「旅」のスタートを切ったり、あるいはその準備を進めている団塊の世代の生きざまを紹介したい。
ガキ大将先生になりたい!
―周囲があっと驚く転身をした「樹庵」社長の小林正美さん―
【プロフィール】1949年5月5日生まれの55歳。岐阜県揖斐郡久瀬村出身。今年4月、全国大学生協同組合連合会専務理事を辞め、実家の建設会社を廃業して設立した廃校施設を管理・運営する有限会社「樹庵」の社長に就任した。
周囲の誰もがあっと驚く転身だった。定年まで5年余りを残しながら、全国大学生協同組合連合会専務理事を辞め、今年4月、廃校施設を管理・運営する有限会社「樹庵」の社長に就任した。理由は幾つかあった。「過去の人生を振り返ると早稲田大学の生協の専務理事を6年間やって以来、不思議と6年毎に職場が変わりました。昨年12月で、全国大学生協連専務理事の専務理事の在職期間が6年になったのを機に、踏ん切りをつけました。人間、一ケ所に長くいると堕落します。そもそも自分がやろうとしたことが、6年かけて出来なかったら、最初から無理なんだと思います」。
▽長居はすまい!
健康のことも考えた。2002年に受けた健康診断の結果は肝機能を含めて、オール×だった。「それまで、忙しさにかまけて、さぼり続けてきました。専務理事の仕事は長い会議の連続で、ストレスがたまります。そこでいきおい、夜は酒でストレスを発散させることになります。医師からは生活を変えるようにいわれました。長兄は42歳で肝硬変で亡くなっているし、父親も15年前、ガンでこの世を去りました。体がこのままではいけないと教えてくれたのだと思います」
生き方そのものへの反省もあった。「『人間は指を動かしてモノをつくることが大切』ということを聞いて感激したことがあります。『俺は今まで、指を使って、仕事をしたことはなかった。口を使ってのみ商売をしてきた。体や指を使った商売がしたい』と切実に思いました」。長居はすまいと心に決め、奥さんに決意を語った。「いいじゃないの。私も毎日、あなたの疲れた顔を見るのは辛かったから。これからは好きなことをしてください」。結婚が早かったので、二人の息子さんが独立し、家庭を持っているのも幸いした。
▽60歳、70歳の自分は面白い
実家は建設会社だった。亡くなった父親が40年前に創業した。東京五輪、日本列島改造ブームに乗って業績を拡大し、ピーク時には岐阜県揖斐郡では、3本の指に入るほどにまで成長した。しかし、父とその後継者の長兄が相次いで亡くなり、義理の姉が女手一つで、建設会社を継いでいた。「もうやめたい」。義理の姉が訴えた。そこで、家族会儀を開いて、建設会社を廃業し、宿泊設備を管理・運営する有限会社「樹庵」を設立した。 「60代になると気力、体力、ネットワークの力が確実に弱まります。60代をよりよく生きるには、50代の後半から準備を開始し、そのための基礎をつくるべきだと判断しました。60歳、70歳の自分は、面白いと思っています」。
「樹庵」の管理・運営する宿泊設備は、他とは一味違う。過疎地で廃校となった小学校を有効活用し、青少年の研修などを受け入れている。小林さんの書いた「(有)樹庵(Juann)への伝言」の中に「樹庵」のコンセプトが、きっちりと表現されている。
【樹庵(Juann)への伝言】
「…全国にある大学、短大を含めた高等教育機関は600校余り、実に500万人もの学生たちが学び、研究し、生活し、生活し、そして遊びもしている。ゼミ、クラブ、サークル、同好会から5〜6人の気軽な仲間のネットワーク。合宿も、小旅行も、友人同氏の飲み会も数え上げたら枚挙にいとまがない。温泉ホテルで宴会やって、据え膳、上げ膳で1人1万円とか1万5千円も浪費することもあるまい。親がどんな思いで、どんな苦労して、月々の仕送りをしているか、考えてもみようではないか。教室があって、会議室があって、そこそこの食事の空間があって、グランドに体育館のプール…。少し手を入れれば、学生(小学生〜大学生)や市民のための、会議、研修、合宿、レクリエーション施設に生まれ変わるのではないか!せっかくの文化施設を廃虚、廃屋として朽ち果てさせてはいけない。その建物の主人公が、仮に小学校から、大学生や社会人に交替したとしても、その文化の火は出来る限り、灯し続けられないかどうか…」
▽拠点は谷汲村(岐阜県)と神泉村(埼玉県)
「樹庵」の現在の拠点は、岐阜県揖斐郡谷汲村の「ラーニングアーバー横倉」(電話 0585-55-2236 FAX 0585-55-2246)と埼玉県児玉郡神泉村の「樹庵・神泉」(電話 0274-52-4821 FAX 0274-52-4848)。いずれも統廃合によって、廃校となった小学校を行政とタイアップし、リニューアルしてオープンした。「ラーニングアーバー横倉」の場所は、出身地の隣の村にある。ラーニングアーバーには「学びの杜」という意味合いがある。
「少子過疎化、市町村の広域合併の流れは止みそうにありません。小中学校の廃校問題と有効活用は行政と地域住民にとって頭の痛い問題です。将来、日本各地に、営業施設をNETWORKし、全国チェーン化したいと思っています。人の捨てたものを有効活用するから、廃品活用業といっていいかもしれませんね」と小林さんは、少し照れくさそうに話す。
利用料金は普通の宿泊設備に比べてかなり安い。「ラーニングアーバー横倉」の宿泊料金は、1泊2食付き(和室)で、一般が7,140円 学生が5,775円 小学生以下が5,040円。樹庵・神泉の宿泊料金は、宿泊人数によって異なる。大学生の場合、1泊2食付きで40人以上を超えると
5,200円。5〜14人なら5,600円だ。一般は、宿泊人数10人以上で大人(中学生以上) 5,700円、小学生5,200円、幼児(3歳〜5歳)
4,200円。詳細は樹庵のHPに掲載されている。
【樹庵のHP】
http://www.juann.jp/
▽若い世代に失敗体験の場を提供
当面の目標は、生活学校をつくることだ。「若い世代に失敗体験の場を提供したいと思っています。今の学校は、失敗を体験できないから歪んでいます。かすり傷を負っただけで大騒ぎをします。何かあれば、親から損害賠償を請求されてしまいます。恋愛では、ふられて当たり前。それが分からないから、嫌がる相手に執拗に迫るストーカーになってしまいます。理由は、失敗して痛みを体験していないからです」
ガキ大将の姿が、日本の社会から消えて久しい。昔のガキ大将は魚を釣る仕掛けの作り方、泳ぎ方など生きる術を教えてくれた。2、3歳年上で、勉強はできなかったが、いじめっ子を叱り、強い子を抑えてくれた。「今、一番不足しているのは生活力ではないでしょうか。私は生活学校の生涯学習のガキ大将先生になって、若い世代に生活力を教えたいと考えています。親が対応力を持っていません。その役割を果たせるのは、私たち団塊世代とそのり上の世代ではないでしょうか。生活学校は、昔の寺子屋のイメージかな」
▽町で頑張れ、帰ってくるな
「樹庵」の事業活動のメーンは、廃校、古い民家を活用した宿泊、セミナー、レジャー事業だが、案内にはこれ以外にたくさんの事業が記載されている。自然、環境、福祉に関する企画・イベント、NPO、NGOとNET
WORKサポート事業、こだわりの産直事業、旅行業、保険代理業、運送業、総合建設業、リサイクル、リユース関連事業、出版事業、教育事業、コンサルタント事業といった具合だ。「過疎地で事業をやるには薄く広くが基本だと考えたのです。可能性を残すためです。それと事業のノウハウをいなかに持って帰らなければいけないと思います。私の場合は人的ネットワークでしょうか」
男5人、女2人の7人兄弟の5男に生まれた。15歳の時、生まれ故郷の久瀬村を離れ、都会で寄宿舎生活を送った。「『兄弟の中では、お前だけ高校に行かせる。町で頑張れ。涙を流して村に帰ってきてはいけない』と死んだ親父にいわれたんです。当時は光のある東京や大阪に行けば、仕事が文化があると考えれていました。故郷はいいですね。盆と暮しか帰らなかったけど、30年間忘れたことはありません。仕事があるから東京にいる意味があると思います。仕事がなくなったらどうするのかな。年金もらって、それだけでいいのかな。何かもう一度、存在価値のある場にいたいと思っています」
社長に就任して以来、ほぼ1週間単位で岐阜県と埼玉県を自分で車を運転し、行き来している。ハードスケジュールだし、年収もかつての3分の1以下に激減した。時折、「我慢すればあと5年、のうのうと暮らせたのに」という声も聞こえてくる。でも、「同じ酒を飲むのでも、ストレス発散のために飲むのと、体を動かした後に楽しみで飲むのでは味に大きな違いがあります」と話す小林さんのスッキリした表情には、後悔のかけらは微塵もうかがえない。
(了)
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